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バルーフ・レヴィ

1848年2月、マルクスが「共産党宣言」を発表した。彼はその執筆をバルーフ・レヴィに依頼した。彼はマルクス宛の手紙の中でその目的を次のように打ち明けている。「この新しい人類の社会福祉の中で、我々ユダヤ人はいかなる国家に属することもなく、また他の民族から何の抵抗も受けることなくして指導勢力となり、やがてその影響は全世界に及ぶことになるでしょう。そして彼らの中の何人かの賢者が、これら労働大衆の内に、確...

大王様の祖・マイアー

1773年、マイアーが30歳の時、裕福で強い影響力を持つ12人の富豪を招き、会合を持ち、以下の提案をした。「資金をプールすることに皆さんが同意すれば、世界革命運動を支援、指揮する権限が得られ、それらを行動の手引きにすれば、世界の富、天然資源、労働力に対する支配権が得られる」「イギリスの清教徒革命(チャールズ一世の処刑)はあまりにも時間がかかりすぎた。反動勢力を穏当な方法で排除できなかった。しかし、...

ナポレオンが戻ってきた

1814年4月16日、大王様率いる奥の院は、ナポレオン戦争に勝利しフォンテンブロー条約で、ナポレオンをエルバ島に流し、欧州各国の代表をウィーに集めウィーン会議を開催した。ところが各国の要求がそれぞれで、まとまらず会議は踊るとなった。そうしているうち、翌1815年3月、ナポレオンがエルバ島を脱出して戻ってきた。慌てた大王様、会議を早々にまとめてウィーン議定書を作成させて、再び反仏大同盟を結成させ、ワーテ...

ある往復書簡

大王様の祖マイアー・アムシェルが誕生した1744年を溯ることおよそ1世紀、イギリスの話。1647年6月16日付け、オルイバー・クロムウェルからエベネゼル・プラット充て「経済支援の見返りに、ユダヤ人の英国への入国を提唱しよう。しかしながらこれは、チャールズ(チャールズ1世)が生きているかぎり、実行し得ない。しかし、裁判に掛けない限り、チャールズの処刑は不可能であり、現在のところ裁判に掛ける適切な証拠...

ネイサン・ロスチャイルド

1804年、大王家の祖マイアー・アムシェルの3男ネイサンはロンドンに移住した。この年5月にナポレオンがフランス皇帝(第一帝政)に即位している。ワーテルローの戦いの前、1806年11月、ナポレオンが大陸封鎖令を出し、敵国であるイギリスとの貿易を禁じた。当然のことながら、大陸ではイギリスとイギリスの植民地(印度など)から輸入していた綿製品、たばこ、砂糖などの価格が暴騰し、逆にイギリスではこれらの価格は暴落した...

大王様の祖

マイヤー・アムシェル・バウアーバウアーは1744年、マイヤー・モーゼス・バウアーの子として誕生した。父のモーゼス・バウアーは息子の誕生した後、フランクフルトに定住した。それまでは東欧を転々としていた。息子アムシェルが11歳の時モーゼスは死去した。そして数年後、息子のモーゼスはオッペンハイマー銀行に勤務し、金融業者としての道に乗りだした。1750年に父が起こした金貸し業を事業継承し、門に赤い楯(ロー...

ワーテルローの戦い

1815年(光格天皇の御世)6月18日、ベルギーのワーテルローで奥の院がナポレオンを潰した戦争である。3年前の1812年初代大王様マイアー・アムシェルが死去し、ロンドンにいた息子のネイサンがナポレオンと最後の決戦をした。この年2月26日、ナポレオンが流刑地のエルバ島を脱出して3月1日復帰した。慌てた大王ネイサンは早速欧州全ての国に資金を貸付け、膨大な連合軍を編成しワーテルローで対峙させたのである。...

15日の続き

日本が戦った相手は米国ではない。奥の院の大王様である。戦ったのが米国であり、英国だというと、戦争を起こした張本人である奥の院を隠すことになる。奥の院としては願ったり叶ったりであろう。彼らは身を隠すことが出来る。日本人大虐殺という奥の院の戦争犯罪を米国の戦争犯罪に出来るのである。日本の戦った相手は米国でも英国でもなく、奥の院であるという認識が極めて重大である。フランクリン・ルーズベルト、バーナード・バ...

戦争は強い方が起こす

当たり前の話であるが、たまに弱いものが起こすこともある。それは「窮鼠猫を噛む」場合である。どんどん追い詰められた鼠は、負けると分かっていても猫を噛むのである。先の世界大戦がそうであった。日本が戦った相手は米国でも英国でもない、奥の院である。確かに、戦場に現れた兵士はアメリカ人であり、イギリス人であった。細かく言えば、アメリカ人の前線兵士は黒人、イギリス人の前線兵士はインド人であった。奥の院は日本を...

ジャーデン・マセソン商会

1859年(安政6年)、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズウィック(ウィリアム・ジャーディンの甥)を日本に派遣し、翌1860年(万延元年)横浜支店を開設した。日本で初めての外国銀行である。そもそもジャーデン・マセソん商会は支那に阿片を持ち込んで大儲けした奥の院大財閥である。奥の院は植民地にしようとする先には必ず銀行を設立する。そしてそこの支配体制を整えるのである。その意味では、このジャーデン・...