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スチュアート朝の消滅

 1649年、奥の院ユダヤ金融資本家たちが、イギリスの貴族クロムウェルを使って(金で買収して)イギリス国王チャールズ一世を公開処刑し、スチュアート王朝を潰し、その後はクロムウェルが護国卿となって共和制国家とした(清教徒革命)。 1658年、クロムウェルが死去した後は息子のリチャードが跡を継いだが、1年ほどで辞任した。 1661年4月にチャールズ二世が即位して王制に戻った。 1685年2月にチャール...

イェヘズケル・カウフマンは

イングランド銀行を設立して3年後の1697年、『ユダヤ民族の偉大な時代と思想』を書き、その中で「早くも1697年には、ロンドン証券取引所は、世界第一の証券取引所となるはずだ。124の会員席のうち12席が永久にユダヤ人のために確保される」といっている。この時、ユダヤ人はイギリス全体で2000~3000人である。 イングランド銀行設立後の18世紀、ユダヤ人は非ユダヤ人宿主を支配する新しい技術を完成した。株...

イングランド銀行設立

1677年、英国は英蘭戦争を戦って敵対していたオランダと和解し、オラニエ公ウィリアムがヨーク公爵(ジェームズ二世)の長女メアリーと結婚した。全て奥の院の段取りによる政略結婚である。1681年1月、チャールズ二世は再び議会を解散する。1683年4月、チャールズ二世暗殺未遂事件(ライハウス事件)が発生する。1685年2月6日、チャールズ2世が死去する。 4月23日、チャールズ2世の弟ジェームズ2世が即位する。 1...

クロムウェルの独裁

1649年1月30日、クロムウェルを使って奥の院は首尾良く国王チャールズ一世を公開処刑し、イングランド王国を潰した。2月5日、この処刑に反対していたスコットランドは、チャールズをスコットランドの王として推戴すると宣言した。1650年5月、チャールズ一世の皇太子チャールズ(後のチャールズ二世)がスコットランドに上陸する。 7月、クロムウェルは総司令官としてスコットランドに遠征する。 9月3日、クロム...

清教徒革命後

1649年1月30日、ユダヤ金融資本家がクロムウェルをうまく使って、チャールズ1世を公開処刑に持って行って、これを実行し、彼ら奥の院(ユダヤ金融資本家)が英国を支配する体制を整えた。 そしてこの年5月、クロムウェルはイングランド共和国を樹立し、イングランド王国はイングランド共和国となった。「王を処刑し共和国を造れ」を実施し、王制を倒したのである(清教徒革命)。 こうしてクロムウェルがイングランドで王国を潰...

王党派と議会派

昨日に続いて1642年10月、エッジヒルの戦いでイングランド内戦を引き起こし、王党派と議会派を戦わせることに成功し、この戦いは両軍引き分けた。1643年6月、アドウォルトン・ムーアの戦いで国王軍が勝利する。1644年7月2日、マートン・ムーアの戦いは議会派が勝利する。 9月2日、ロストウィシェルの戦い、国王軍が勝利する。1645年6月、ネイズビーの戦いで議会軍が勝利し、国王チャールズ1世は議会の監視下に置かれ、ハンプトン...

イギリス東インド会社

 1290年にイングランドのエドワード1世がユダヤ人追放令を発布し、ユダヤ人入国禁止にしてからおよそ300年後の1600年、ユダヤ人がイギリスに戻ってきた。 ちょうどこの年の暮れの12月31日、エリザベス1世の勅許でイギリス東インド会社が設立されている。従って、ユダヤ人の一部は、この頃三々五々イギリスに戻ってきたのであろうが、一部は東インド会社の株主、従業員として正式に入国してきたのである。 入ってきたユダヤ人は...

1571年10月

 スペインがレパントの海戦でオスマン帝国艦隊を破った。アジアではこの年、スペインはルソン島(現フィリピン)にマニラを建設する。そして2年後の1573年にはルソン島全島を占領した。 スペインがルソン島を占領する前の1591年、秀吉は長崎の貿易商人原田孫七郎を使者として「日本国への朝貢を要求する書簡」を6代フィリピン総督ゴメス・ペレス・ダスマリニャスに送った。絶妙なタイミングで、秀吉は奥の院に挑戦状を送ったので...

トルデシリャス条約

 1494年6月、スペインとポルトガルの間で締結された条約である。西アフリカのセネガル沖の子午線に沿って、そこから東半分をポルトガル領、西半分をスペイン領とするという条約である。つまり、大西洋の真ん中の子午線を境に地球を2分割し、そこから東はポルトガルが、西はスペインが植民地とした。 日本は後土御門天皇の御世で、将軍は足利義稙であり、都は焼け野が原で、天皇の即位礼も出来ない荒れ果てた、すさんだ時代...

1600年

日本では関ヶ原の戦いがあり、後陽成天皇の御世で徳川家康の政権が誕生する。 イギリスでは1290年に追放されていたユダヤ人が、およそ300年ぶりに戻ってきた。それからおよそ半世紀後の1649年、国王のチャールズ1世が公開処刑された。一体どのような経緯を経てこのような驚天動地の大激変が起きた(起こした)のか、興味は尽きない。 この時のイングランドの王はエリザベス1世である。「私はイギリスと結婚した」と...