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ペリー来航

 1853年6月、マシュー・ペリーが日本に来航した。日本はとりあえず引き下がってもらい、翌年1月に再来航来航した。このペリーは奥の院がアメリカに派遣したオーガスト・ベルモントの義父である。つまりペリーは奥の院が派遣したのである。 ペリーが来航した1853年、奥の院はアメリカに今のニューメキシコ州に当たる地域を、スペインから購入させている。奥の院はアメリカ経営に本格的に乗り出した。 1836年に第二合衆...

これまでの奥の院の歩み後編

昨日の続き10 奥の院は清国とアヘン戦争を引き起こし、清国を支配下のおいた。 奥の院配下のイギリスと清国の貿易はイギリスの万年赤字で、これを解消しようと、印度に阿片を栽培させ、これを清国に輸出して赤字解消した。ところが清国では阿片吸引者が急増し、国の財政も大赤字となり、清国は阿片輸入を禁止した。そこで1840年、奥の院(イギリス)は阿片戦争を引き起こし、これを機に清国を支配するようになった。11 ...

これまでの奥の院の歩みの前編

1 清教徒革命 1290年にイギリスから追い出されていたユダヤ人が、1600年に戻ってきた。そしておよそ半世紀後の1649年にイギリス国王チャールズ1世を公開処刑し、イングランド王国(スチュアート王朝)を潰した。彼らはこのクーデター・テロ事件を歴史には清教徒革命と美しい名前をつけた。そして美しい名前の裏でイギリス人大虐殺が行われた事実は隠した。2 名誉革命 国王チャールズ1世を処刑した後、暫くして...

打ち出の小槌

 現在、奥の院の持っている打ち出の小槌はアメリカのFRBである。これは1913年に彼らが作ったものであるが、その前はイギリスのイングランド銀行であった。いずれも、大王家(奥の院の総帥)が所有している民間銀行であるが、アメリカなり、イギリスの中央銀行のような振りをして、世界の通貨発行権(基軸通貨・信用創造権権)を独占している。 だから奥の院は打ち出の小槌を手にしたと言われる。 イングランド銀行は、1...

米南北戦争仕掛け

 1856年、オーガスト・ベルモント(日本にやって来たペリーの義父)がアメリカ民主党党首として、アメリカの政治に大きく関わり、ロンドンの奥の院本部のために活躍し始める。 翌1857年、パリ大王家のアルフォンソ・ロスチャイルド(ジェームス・ド・ロチルドの長男)とロンドン大王家のライオネル・ロスチャイルドの娘レオノラとが結婚し、その結婚式でベンジャミン・ディズレリー(後の首相)は祝辞を述べた。 「欧州の...

オーガスト・ベルモント

 1844年、ピール銀行条例で奥の院は打ちでの小槌を手にした。 1694年に奥の院が設立したイングランド銀行が、この条例で銀行券の発券を独占し、実質的にイギリスの中央銀行となった。ロバート・ピール内閣が銀行勅許法、ピール銀行法を制定し、この法律によりイングランド銀行が、奥の院の民間銀行でありながら、中央銀行として銀行券の発券を独占した。 この条例は新たな他の銀行券が市場へ供給される量を制限する役目...

アジア

 1848年の同時革命時には、奥の院は支那大陸の清国と日本以外のアジア地域を、既に植民地支配をしていた。そして支配者はスペインとポルトガルから奥の院に移っていた。 1848年欧州で同時革命(1月21日通信)を起こし、欧州全域の君主国を潰して、欧州では彼らが支配できる体制がほぼ出来上がった。勿論、これから欧州でも、支配を完成させるために数々の戦争を起こしていくのである。各国の政治体制を壊して、彼らが...

アカ

 奥の院大王様の祖・マイヤーは、家の門に赤い楯を掲げた。そして1848年にバルーフ・レヴィに共産党宣言を書かせ、それをマルクスとエンゲルスが書いたことにさせた。歴史ではマルクスとエンゲルスが書いたことになっている。 この時の大王家は初代マイヤーの子や孫の世代になっていた。ロンドンロスチャイルド家はライオネル(孫)の代であり、パリ・ロスチャイルド家は大王様の5男・ジェームズの代である。いずれも大王家...

共産党宣言

 1848年2月21日(日本では嘉永元年、孝明天皇の御世)、マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表した。 マルクスが執筆を依頼したバルーフ・レヴィがマルクス宛の手紙の中で、その目的を以下のように書いている。 「この新しい人類の社会組織の中で、我々ユダヤ人はいかなる国家に属することもなく、また他の民族から何の抵抗を受けることなくして、指導勢力となり、やがてその影響は全世界に及ぶことになるでしょう...

昨日1月20日に続いて

 ユダヤは1848年革命で、ヨーロッパの国々の非ユダヤ人政府を次々壊していったが、まだ世界支配を確立するには至らなかった。ここでは更に非ユダヤ人政府を弱体化させる必要があった。 翌1849年11月7日、奥の院のアメリカに派遣したオーガスト・ベルモントがペリー提督の娘・キャロライン・ペリーと結婚する。ここで奥の院はアメリカでペリー財閥(ボストン財閥)と結びついた。ベルモントはロスチャイルド家ナポリ支...