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ガーフィールド大統領

1863年(32歳)、共和党員としてオハイオ州下院議員に選出された。 1881年3月4日、ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド(50歳)が第20代アメリカ大統領に就く。この若き大統領は就任して間もなく、「一国の通貨の量をコントロールするものが、工業と商業の絶対的支配者なのである」といって、国際銀行家(奥の院)たちが求めた法案のいくつかに署名するのを拒否した。ここで彼は勇気を出して奥の院と敵対し...

リンカーンとケネディ

アメリカ合衆国憲法は第8条で通貨発行権は議会にあると規定している。アメリカ下院議員ロンポールも「連邦準備銀行を廃止せよ」という本を書いてこれを指摘している。にもかかわらず、アメリカでは民間銀行(奥の院銀行)が通貨を発行しているので、この二人の大統領は、これを止めて政府通貨を発行しために暗殺された。「連邦準備銀行を廃止せよ」という本を書いたロン・ポールは次の選挙で落選させられた。 リンカーンは南...

ジュダ・ベンジャミン

1811年、カリブ海のヴァージン諸島で産まれる。両親ともにスファラディ・ユダヤ人。 幼少の頃、合衆国本土に移住、ノースカロライナ州およびサウスカロライナ州で成長。 1825年(14歳)にイェール大学へ入学したが、間もなく退学1832年(21歳)、ルイジアナ州ニューオーリンズへ移住、ルイジアナ州弁護士資格取得。1833年(22歳)、 ニューオーリンズに住む著名なクリオーリョ一家の娘、ナタリー・セント・...

ジェイコブ・ヘンリー・シフ

 彼は1847年、代々ユダヤ教ラビの家系に産まれる。 日本とは縁が深く、彼は日露戦争の時にその戦費調達で日本の国債を引き受けてくれたと賞賛されている。日本にとっての恩人であるという。明治天皇からは勲一等旭日大綬章を送られている。これは全て事実である。 また、後に1966年、イスラエルのモシェ・バルトゥール駐日大使が着任した際には、大使は昭和天皇より「日本人はユダヤ民族に感謝の念を忘れません。かつて...

吉田健三

1849年嘉永2年福井藩士の子として誕生した。 1864年15歳の時に脱藩して大阪に出て医学を学んだ。1866年長崎に行ってイギリス軍艦でイギリスに密航した。17歳の少年を、この時代にイギリスの軍艦が運んでくれて現地のロンドンでの世話一切をしたというと言うことは、いかにも唐突である。 奥の院は彼の才能を認めてイギリスに留学させたのか、後に彼を認めて取り込んだのかは分からない。恐らく両方相まってのこ...

第2合衆国銀行

 1811年、第1合衆国銀行の認可期限が切れて消滅し、その業務をモーゼス・テイラーが引き継ぎシティバンクが誕生した。大王家はアメリカ国有(中央銀行)の振りが出来た第1合衆国銀行が、民間であことが丸わかりのシティバンクとして、業務を継続することになったのである。 銀行の所有形態には何の変化もないが、外面をごまかせなくなった。この「振りの出来る外面」というものが極めて重要なのである。詐欺を働くには名称...

もう一人の代理人・テイラー

 大王様の祖マイヤーの孫に当たるオーガスト・ベルモント(カール・ロスチャイルドの庶子)が1837年、大王家の代理人としてアメリカに派遣され、ペリー家やモルガン家と結びついてボストン財閥を形成していき、アメリカにおける大王家の代理人として活躍した。 ところがその前にもう一人、大王家の代理人がいた。それがモーゼス・テイラーである。彼は、アメリカの第一合衆国銀行が20年の免許期限が切れた直後に、この銀行の...

奥の院が左翼を作った

 奥の院はイギリスの支配権を確立すると、次にフランスを取りに行った。 イギリスに彼らの私有銀行であるイングランド銀行を設立し、打ち出の小槌を手にした彼らは、金に飽かしてフランスを取りに行ったのである。 その手先になったのが、貴族ではオルレアン公であり、ミラボーであった。彼らは役目を終えたらすぐに消された。内実を知った彼らは、生かしておくとまずいからである。 そして、彼らの後を受け、次に活躍するのが...

右翼・左翼の語源

 最初に左翼と言う言葉が生まれた。 フランス革命(フランス人大虐殺)の時、国民公会(議会)で山岳党(ジャコバン党)がいつも左に席を占めた。そして都合によって、集団でヤジって政敵の演説を聞こえなくする。今も日本の国会などで左翼がやっている。 だからこの連中のことを左翼といった。他の人たちは仕方ないから右に席を取った。そして山岳党の連中がこの一般の人たちのことを右翼というようになった。だから言葉として...

ナサニエル・マイヤー・ロスチャイルド

 ライオネル・ド・ロスチャイルドの長男で、ロンドン・ロスチャイルド家の第3代当主である。 父のライオネルは1847年、39歳で庶民員議員にホイッグ党から立候補し当選したが、キリスト教の宣誓を拒否して、議員にはならなかった。以後、彼は毎回選挙に当選し、庶民院はその都度、ユダヤ式宣誓を認めるという動議を出すが、貴族院では貴族たちが「無礼なユダヤ人たちに、その分際を弁えさせよう」と否決した。しかし、11...