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日米修好通商条約

 安政5年(1858年)6月、日米修好通商条約が調印された。井伊直弼が天皇の勅許なしで結んだ不平等条約であった。そして10年後の1868年、日本は開国し明治の世となる。この年から10年間、日本は建国以来の大騒動になった。条約調印の翌年1859年8月にジャーディン・マセソン商会が横浜に支店を開設し、トーマス・グラバーがその長崎代理店を設立する。

 この年12月にスエズ運河建設が開始された。後に日本が開国して明治の世が始まった翌年1869年に運河は開通している。偶然ではあろうが、日本が砲艦外交で門がこじ開けられて大騒動している間が、ちょうどスエズ運河の建設期間中ということになった。

 そして日本の大騒動が始まった直後の1861年には、奥の院はアメリカで南北戦争を勃発させてアメリカを2国に分割しようと試みたが、リンカーによってその企みは阻止された。奥の院からの借金を断り、アメリカという国の信用によっての信用創造(紙幣発行)をしたのである。政府紙幣発行によって戦費を調達したのであった。だからリンカーンは奥の院に暗殺された。歴史に書かれている奴隷解放が暗殺の理由ではない。

 アメリカの南北戦争が終わって、余った武器を、先に設立されたジャーディン・マセソン商会長崎代理店のグラバーが日本に持ち込み、これを日本で代理人を使って、薩長といった雄藩と幕府に売りつけて、日本に内戦を起こさせた。奥の院はアメリカでの南北戦争と同じ戦争(内戦)を、日本でもさせたのであった。
 
 日本では外国(奥の院)を入れないという攘夷運動が猖獗を極めたが、その中心となっていた孝明天皇が1866年12月に崩御(暗殺?)され、一気に開国倒幕へと突き進み、日本は奥の院の支配する国際社会という魑魅魍魎の世界に、引きずり込まれた。孝明天皇はよく分かっておられ、崩御される直前まで、終始攘夷と公武合体(幕府と力を合わせての攘夷)を祈願しておられた。その都度、詔勅を渙発しておられる。

 開国後はグラバーの日本での武器売却に関わった人たちが、明治の元勲とか政府要人に収まったと言えなくもない。その反面、これを阻止しようとした人物は次々と消されていった。現在は奥の院の仕掛けた先の大戦で、ほぼ奥の院の支配下に入ってしまった。

 日本に金を貸し日露戦争を戦わせて大儲けをした、奥の院のジェイコブ・シフは、明治天皇から勲1等旭日大授賞を賜与され、先の大戦で日本中の都市を焼き払い、数百万の無辜の民を焼き殺したカーチス・ルメイ将軍には、勲一等旭日大綬章を贈っている。

 しかし、昭和天皇は恒例となっている親授はしておられない。自らルメイに勲章を授けると言うことはなさらなかった。天皇にとっては赤子(せきし)であり、臣民であり、百姓(おおみたから)である民を焼き殺した将軍には、さすがに昭和天皇としては勲章の親授はお出来にならなかったのである。我々臣民は、この昭和天皇のお気持ちには涙する以外にない。
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