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第2合衆国銀行

 1811年、第1合衆国銀行の認可期限が切れて消滅し、その業務をモーゼス・テイラーが引き継ぎシティバンクが誕生した。大王家はアメリカ国有(中央銀行)の振りが出来た第1合衆国銀行が、民間であことが丸わかりのシティバンクとして、業務を継続することになったのである。
 銀行の所有形態には何の変化もないが、外面をごまかせなくなった。この「振りの出来る外面」というものが極めて重要なのである。詐欺を働くには名称が重要である。

 日本のどこの銀行でも「日本銀行」という名称が許さるのであれば、どこでもこれを望む。半島か大陸の金持ちが日本に銀行を作って、これに「日本銀行」という名称を許したのと同じである。ここで「半島か大陸の金持ち」と言う言葉を「ユダヤ人の金貸し」と置き換えたら分かり易い。

 翌1812年、ロンドン大王家は早速イギリス政府をけしかけて英米戦争(第2次アメリカ独立戦争)を起こさせた。この時期、大王家は既にイギリス政府に指示・命令する力を持っていたことが重要である。

 アメリカは終始劣勢であったが、たまたまこの時期、ロンドン大王家はナポレオン戦争を戦わせており、エルバ島に流していたナポレオンが戻ってきて、早くこれを解決しなければならない立場にあったことが幸いし、取りあえずここでは大王家が停戦を望んでガン条約が締結され、アメリカは勝利した。

 ガン条約で何とかアメリカは勝利し、独立を果たしたが、アメリカ政府の債務は3倍に膨れあがった。ここでアメリカと大王家は債務者と債権者の関係になった。
 第4代マディソン大統領は戦争をきっかけに、「国を護るため強い中央政府が必要」を強調する。強い中央政府の必要性については誰も否定しないであろうが、マディソンのこの言葉の心が、何であったかは定かではない。

 早速、ロンドン大王家のネイサン・ロスチャイルド(大王家の祖マイヤーの3男・ロンドン大王家の祖)は「合衆国銀行の特許状更新と引き替えでなければ、いかなる経済援助も準備され得ない」と宣言した。マディソン大統領はネイサンに「言わされていた」とも考えられる。

 1814年、アメリカはガン条約で独立を果たしたが、債務が3倍となり、激しいインフレに見舞われる。そのために大王家ネイサンは先の宣言で資金供給を絶ったのであった。ネイサンがアメリカのインフレを作ったのである。

 1816年12月、マディソン大統領は「第2合衆国銀行設立」を認可した。アメリカは独立を果たしたが、ここで再び大王の私有銀行に中央銀行の振りをさせることを余儀なくした。アメリカは再度イギリス大王家に従属した。完全な独立は果たせなかった。
 マディソン大統領は第2合衆国銀行設立を支持し、1809年から1817年まで2期8年大統領職を務めた(務めさせてもらった)。


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