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ジュダ・ベンジャミン

1811年、カリブ海のヴァージン諸島で産まれる。両親ともにスファラディ・ユダヤ人。
 幼少の頃、合衆国本土に移住、ノースカロライナ州およびサウスカロライナ州で成長。 1825年(14歳)にイェール大学へ入学したが、間もなく退学
1832年(21歳)、ルイジアナ州ニューオーリンズへ移住、ルイジアナ州弁護士資格取得。
1833年(22歳)、 ニューオーリンズに住む著名なクリオーリョ一家の娘、ナタリー・セント・マーティンと結婚(クリオーリョとは現地生まれの黒人)
1842年(31歳)、妻ナタリーは生まれたばかりの子・ニネットを連れてパリに移住。ジュダ本人はホイッグ党の党員としてルイジアナ州下院議員に選任される。
1850年(39歳)、所有する150人の奴隷と共に農園を売却
1852年(41歳)、ルイジアナ州議会から連邦議会の上院議員に。
 翌1853年2月15日付ニューヨーク・タイムズ「大統領がベンジャミンを(陪席裁判官のポストに)推薦しら民主党はこれを承認するだろう」と報道。しかし彼はそれを断り上院議員になる。
1854年(43歳)、フランクリン・ピアーズ大統領(第14代)がベンジャミンを最高裁判所の陪席裁判官に指名したが、彼は再びそれを断った。
1859年(48歳)、民主党から再び上院議員に選出される。
1861年2月4日(50歳)、ルイジアナ州の合衆国離脱に伴い上院議員を辞職。
 2月25日、連合国(南部連合)臨時議会で初代大統領に選出されたデイヴィスが、ベンジャミンを司法長官に指名。
 【4月12日、南北戦争勃発】
 9月、司法長官を退き陸軍長官代行(南軍)に就任
1862年2月、陸軍長官を辞職
1863年3月、デイヴィス大統領、彼を国務長官(南部連合)に任命
1865年4月14日、【リンカーン大統領暗殺事件勃発】
 【5月、南北戦争終結】
 暗殺実行犯は俳優ジョン・ウィルクス・ブースで、彼のトランクから暗号文で書かれた手紙やベンジャミンの私物が発見され、鍵がジュダ・ベンジャミン国務長官の持ち物から発見された。当然のことながら、この暗殺事件については、ベンジャミンが陰で糸を引いていたという噂が、合衆国の情報機関を通じて広まる。
 ベンジャミンは当時の雰囲気から公正な裁判を受けられないといって、書類を燃やして偽名でイングランドへ逃亡。彼はロスチャイルド家の親戚である。
 1866年6月、イングランドで弁護士の資格を獲得し、法廷弁護士となる。
 イギリスの王室顧問弁護士に選任された。

 公にされた経歴をじっと見ると、誰しも?と感じる箇所にいくつか出会うはずである。いきなり意外な地位についたり、うまく逃亡できたりと。そこは奥の院からの指示、司令、保護があってのことと考えると、分かってくるはずである。この時期、奥の院はアメリカでの銀行(奥の院私有の中央銀行)を何とか作りたかったのである。そのためなら何でもする。

 悲劇の直前リンカーンは、「我が国の安全に対する危機が近い将来に迫っているのが見えて、私は狼狽し、震えている。今や企業中心の世の中になってしまったが、やがては政府高官たちの腐敗の時代がやって来るであろう。我が国の金融勢力は人々の偏見を助長しながら、富が少数の者の手に集中し、共和国が崩壊に到るまで、必死に支配の維持を図るだろう」といっている。

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