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ジャーデン・マセソン商会

1859年(安政6年)、上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズウィック(ウィリアム・ジャーディンの甥)を日本に派遣し、翌1860年(万延元年)横浜支店を開設した。日本で初めての外国銀行である。そもそもジャーデン・マセソん商会は支那に阿片を持ち込んで大儲けした奥の院大財閥である。

奥の院は植民地にしようとする先には必ず銀行を設立する。そしてそこの支配体制を整えるのである。その意味では、このジャーデン・マセソん商会横浜支店の開設が、奥の院の日本支配の始まりと言える。幕末期、幕府、薩摩、長州の留学をお膳立をして、その後の明治の元勲らも奥の院と深く結びついている。長州五傑のイギリス留学のお膳立てをしたのもジェームズ・マセソンの甥ヒュー・マセソンである。

土佐の宿毛藩士竹内綱は江戸に出て自由民権運動等している時、福井藩士の吉田健三と仲良くなる。その内竹内が外に子供を孕ませ、困って吉田に相談する。吉田は若し生まれた子供が男なら私にくれという。そして男が生まれたのでその子が吉田の養子となる。そしてこの子が後の吉田茂である。

吉田健三はイギリスに密航(2年)して帰ってきて、ジャーデン・マセソん商会に入り、その支店長になった。
この吉田は養子の茂がまだ11歳の時に他界し、茂は膨大な資産を相続した。
戦後の日本を仕切ったのが吉田茂であるが、このような経緯があり、吉田茂は最初から奥の院との繋がりの濃かった人物であった。
サンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復した時にすべきであった、占領行政当時の憲法改正(破棄を含め)や神道指令廃止(宮家復活)などの重要事項をそのまま放置した。これらは全て吉田茂の責任であろう。彼は奥の院の日本支配をそのまま温存したと言える。
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