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ガーフィールド大統領

1863年(32歳)、共和党員としてオハイオ州下院議員に選出された。
 
1881年3月4日、ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド(50歳)が第20代アメリカ大統領に就く。この若き大統領は就任して間もなく、「一国の通貨の量をコントロールするものが、工業と商業の絶対的支配者なのである」といって、国際銀行家(奥の院)たちが求めた法案のいくつかに署名するのを拒否した。ここで彼は勇気を出して奥の院と敵対した。通貨発行権を奥の院から政府に取り戻そうとしたのであった。
 16年前の1865年4月、リンカーンが南北戦争の戦費調達で政府通貨を発行して、奥の院に暗殺されているだけに、彼としては、よほどの勇気を持って、拒否したものと思われる。
 
1881年7月2日、大統領はワシントンDCの鉄道駅で、背後からチャールズ・ジュリウス・ギトーに銃撃され、重傷を負って病院に運ばれる。暗殺時の現場写真は公表されている。
 ギドーはフランス系ユグノー(カルヴィン主義)で、政治家を志して、1880年の大統領選挙では共和党の応援演説を執筆し、結果、共和党からはガーフィールドが候補に選ばれ、当選を果たす。この勝利を自分の手柄と考えたギトーは、その功労として大使の職を求めてウィーンに、あるいはパリに赴き、採用を掛け合う。しかし要求は容れられず、不満を持つようになった。彼のその不満を取り上げて、大統領暗殺の意思を持たせるに到るまで、彼を誘導した奥の院の具体的経緯は秘匿され不明である。
 
銃撃されたガーフィールドは、体内で弾丸を発見出来ず、医師のアレクサンダー・グラハム・ベルは弾丸を見つけようとするが見つけることは出来なかった。その後、療養生活を余儀なくされていたが、そのうち感染症の病状が悪化し、9月19日にニュージャージー州エルバロンで死去した。
 
医師が弾丸摘出のために滅菌しない指で患部を探ったり、手を突っ込んだり、針で肝臓を傷つけるなどの荒療治がなかったら死ぬことはなかったとされている。蘇生のための治療をしている振りをして感染症を併発させ、死に至らしめたと言える。奥の院としてはガーフィールドをどんなことをしてでも消したかったのである。
 
ガーフィールドは、リンカーンに次いで、暗殺されて死去した二人目の大統領であり、大統領に選出された唯一の現職下院議員でもあった。在任は第9代大統領ウィリアム・ハリソンに次いで短く、6ヶ月と15日であった。
なお、半世紀前の1835年には、第7代大統領アンドリュー・ジャクソンが暗殺されているが、この時は好運にも未遂で終わっている。彼も、第2合衆国銀行の認可更新を拒否したために、奥の院に暗殺されたのであった。
 
息子のジェームズ・ルドルフ・ガーフィールドは父の跡を継いで政治家になり、1907年から1909年までの2年間、第26代大統領セオドア・ルーズベルト(フランクリン・ルーズベルトは彼の5従弟)の下で内務長官に就任している。
 
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