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ロマノフ王朝を潰せ

 ウラジーミル・レーニンの実兄のアレクサンドル・ウリアノフが、アレキサンダー三世暗殺を企てて処刑されたので、その弟のレーニンが奥の院に取り立てられて、ロシア革命の指揮官に選ばれた。
 
 奥の院が非ユダヤ人を取り立てて重要ポストに就けたり、重要な使命を任せる場合、それなりのテストをし、合格したら最後にはテロを起こさせる。忠誠心と本気度を試すわけである。レーニンの場合、実兄のウリアノフがテロに参加し処刑されているのでその資格を得た。
 
 スターリンの場合は、チフリス県(現在ジョージアのトビリシ)で1907年にチフリス銀行強盗事件を起こし、得た金をそっくりレーニンに渡した。それでスターリンは最初から閣僚の一人に入っており、レーニンの後継者となった。実行犯でスターリンの盟友カモ(テル=ペトロシアン、通称カモ)は逃亡するがドイツで逮捕された。ところが、彼は精神病をよそおい通し、精神病棟に入れられて、3年後に脱走している。
 
 ただ、奪った金は高額紙幣で、警察が高額紙幣の通し番号を把握していたために、実際には使用できなかった。しかも、足が着いたため、大量の逮捕者を出し、ヨーロッパの社会主義者らからも非難が出た。
 
 一方、奥の院は1913年12月にアメリカにFRBを作くり、打ち出の小槌を手にして、無限に信用創造できるようになっていた。そこで、先ず1914年6月、サラエボでオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナントを暗殺させて、第一次世界大戦を起こした。

 FRBは翌1914年に営業を開始しているが、すぐに兵器の増産を行い、戦争準備が整ったところで、1917年4月、この第一次世界大戦に参戦し、ドイツを敗戦に追い込んだ。

 それと前後して、奥の院は第一次世界大戦の当事国の一つであったロシアを取りに行く。ロシアのロマノフ王朝を潰しにかかったのである。
 彼らは、ドイツを戦争で潰したが、ドイツの相手の大戦当事国・ロシアのロマノフ王朝は戦争ではなく、革命で潰した。直接、王家一族を皆殺しにしたのである。その上で革命と称して、ロシア国家の中枢にいる人を皆殺しにした。
 
 ロシアで革命が起きたのではない。ロシアの民衆が圧政に耐えかねて立ち上がったのではない。これは奥の院の書いた歴史である。実際は奥の院がレーニンという刺客に大金を持たせて送り込んで、ロマノフ王家を潰し、ロシア人を虐殺したのである。

 フランス革命と称してフランス人大虐殺を行ったのと全く同じで、しかもロシア人大虐殺は規模がフランスの場合よりも遙かに大きい。政府首脳だけでなく、一般市民まで虐殺した。ユダヤ人によるロシア人大虐殺であった。現に、革命が起きてロマノフ王朝が潰れた後にできた革命政府の閣僚のほとんどはユダヤ人である。
 
 奥の院はその前の1904年、ロシアを日本と戦わせ(日露戦争)、その上でロシアを第一次世界大戦に引きずり込んだ。刺客を送り込んでロシアを潰す前に、日本と戦争(日露戦争)させ、その上で、第一次世界大戦を戦わせて、ロマノフ王朝の国力をそいでいる。日本には奥の院は借款供与して戦争できるようにした。

 先の大戦では逆に奥の院は日本を経済封鎖して、窮鼠猫を噛む状況を作った上で、日本を戦争に追い込んだ。要するに、奥の院は欲しいものがあれば取りに行く、邪魔な者は潰して排除するのである。
 
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