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アムシェル・マイアー・フォン・ロートシルト

 これから大王家の歴史を辿ってみる。

 大王家の祖マイアー・アムシェル・ロートシルト(1744年ー1812年)の長男である。ドイツのフランクフルトのゲットーで誕生した。ゲットーというと閉じ込められたという印象を与えるが、実際はユダヤ人の自治区域という意味である。他からの干渉を受けない。干渉させない。
 長男だからか、名前は父とほとんど同じで、マイアーとアムシェルとを入れ替えただけとなっている。
 母は、フランクフルトのユダヤ商人ザロモン・シュナッパーの娘・グレトである。

 家はヘッセン選帝侯ウィルヘルム1世の御用商人であった。宮廷ユダヤ人(ホフユーデン)である。1800年、27歳で1歳下の弟ザーロモン(この時26歳)とともに父のパートナーとなる。父マイアーはこの時56歳であった。

 アムシェルが誕生した時は、既に父マイアーたちの奥の院がフランス革命を成功させて、ナポレオンと対峙している時代である。
 1773年に父マイアーが12人の大物金融屋を集めて、金融カルテルを作り上げていたので、既に奥の院のドンとしての地位を獲得していた。
 1789年には国(ヘッセン=カッセル方伯家)の正式な金融機関に指定されている。

 弟ザーロモンと父のパートナーになる前の1793年、次弟ネイサン(マイアーの3男)は21歳でロンドンに行かされた。彼がロンドン・ロスチャイルド家の祖となる。
 1806年、ナポレオンがドイツに侵攻してきたが、屈服しないイギリスを締め上げるために大陸封鎖令を出した。この時、彼は次弟ネイサンがロンドンに行っていたので、この弟と組んで密貿易をする。ネイサンがイギリスの商品を密輸出し、アムシェルがこれを大陸で売りさばいて巨利を収めた。

 また、ナポレオンの侵攻でウィルヘルム1世はデンマークやチェコに亡命するが、その間、彼の債権を秘密裏に管理することをロートシルト家が委ねられ、彼ら親子でその回収に奔走している。
 1812年、父マイアーが死去し、長男である彼がロートシルト家の家長となり、フランクフルトの銀行を継いだ。

 父の死後、1819年、すぐ下の弟でパートナーであったザーロモンは45歳でオーストリアのウィーンに移住する。
 4男のカールは1821年ナポリに33歳で移住した。
 5男のヤーコブ・マイアーは1811年パリに移住した。父のマイアーが死去する一年前に19歳で移住している。彼は移住後、ジェームズと改名した。

 こうして初代マイアーの5人の息子たちは、ドイツのフランクフルト、オーストリアのウィーン、イギリスのロンドン、イタリアのナポリ、フランスのパリにと、欧州の主要土地に散っていったのであった。
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