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戦争は強い方が起こす

当たり前の話であるが、たまに弱いものが起こすこともある。それは「窮鼠猫を噛む」場合である。どんどん追い詰められた鼠は、負けると分かっていても猫を噛むのである。先の世界大戦がそうであった。日本が戦った相手は米国でも英国でもない、奥の院である。確かに、戦場に現れた兵士はアメリカ人であり、イギリス人であった。細かく言えば、アメリカ人の前線兵士は黒人、イギリス人の前線兵士はインド人であった。

奥の院は日本を追い詰めた。最初は支那人を使って連続テロ事件を起こして日本を苦しめた。そして支那事変に発展させ、その上、九カ国条約で、日本と支那とを決して和解させなかった。また、最後に第2次上海事変では、完全に負けた蒋介石を降伏させず、重慶に立て籠もらせてテロを続けさせた。奥の院が蒋介石と毛沢東に武器、資金、人(顧問団)を無限に送り込んで頑張らせた。

それでも戦争にならなかったので、ついに奥の院自らが挑発行為を始めた。そしてついに経済封鎖をして日本絞め殺し政策を採った。ABCDラインを敷いた。日本人は誰も米国と戦争するなんて思っもいなかった。米国も日本と戦争すると思っている人はいなかった。このことは当時の日本と米国の貿易状況を見れば明らかである。しかし奥の院は諦めず締め付けを強めていき、日本はついに窮鼠になった。

昭和16年(1941年)12月6日夜、奥の院のホワイトハウス駐在員バーナード・バルークは、合衆国陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャル将軍およびルーズベルト大統領と同席していた。何時間か経って、3人はパニックに陥った。暗号解読された通信で、大日本帝国海軍機動部隊が真珠湾に接近中であることは判明したが、同時に、攻撃前にアメリカ側に探知されたら攻撃を中止して日本に引き返せとの厳命を、連合艦隊の作戦司令官は受けていたからである。引き返されたら困るのである。
しかし、彼らの望んでいた通り、日本はついに猫をかんだ。

こうして奥の院は念願叶って鼠に猫をかませた。その上で、奥の院企業スタンダード石油の開発した焼夷弾で日本中の都市を焼き払い、原爆投下して、日本人大虐殺を実施した。
そして戦後は自分たちの悪を隠すために、占領行政を自分たちで行い、「日本は悪かった」と教育で子供たちを、メディアを使って大人たちを洗脳した。
獄に繋がれていた共産党幹部の志賀義雄をGHQ(奥の院)は釈放したが、彼は奥の院の期待に応え、「我々が教科書を作れば30年後には暴力革命をしなくても同じ効果が得られる」といった。結果はその通りになった。そして教科書は未だに彼らが作っている。
おまけに、日本の教科書でありながら、お隣さんの中共や半島にお伺いを立てなければ、教科書は作れなくなった(近隣諸国条項)。仮に日本共産党が、心を入れ替えて国民のための教科書を作ろうとしても、もうお隣さんの了解がなければ出来なくなった。奥の院の仕業であることに気付いている人がどれだけいるであろうか? 
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