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マイアーの死去した1812年

 マイアーの死去したこの年は
 5月11日にイギリスのパーシバル首相が暗殺された。
 5月28日には露土(ロシアとトルコ)戦争が終結し、ブカレスト条約が締結された。
 6月18日、アメリカがイギリスに宣戦布告をする。米英がカナダ、アメリカ東海岸、アメリカ南部、5大湖周辺の領土を奪い合う戦争(北米植民地戦争)であった。
 6月23日、ナポレオンがロシアに攻め込む。ロシアがナポレオンの「大陸封鎖令」を守らないからであった。ロシアとしてはやっとトルコとの戦争が終結したと思ったら、ナポレオンが攻め込んできたのであった。
 9月14日、ナポレオンがモスクワ入城する。しかし厳しい冬の来る前、10月19日にはナポレオンはモスクワからの撤退を開始している。
 9月19日、マイアーがドイツのフランクフルトで死去した。

 マイアーは上記事項のいずれにも関与していたであろうが、死の直前誰にどのような指令を出していたのであろうか。急死であるから、死の直前まで差配していたものと思われる。
 フランスの革命裁判所が廃止されてフランス革命が終息した後、1798年、3男のネイサン(21歳)がイギリスのマンチェスターに移住した。彼がロンドン:ロスチャイルド家の祖となる。
 欧州大陸はフランス革命の混乱後に出てきたナポレオンが支配し、1806年11月には大陸封鎖令を出してイギリスを屈服させようとしていた。この時、イギリスに移住した3男のネイサンは29歳であった。
 ネイサンはこの大陸封鎖令を逆にうまく利用し、大陸に残っている弟たちと組んで密貿易を行い、兄弟みんなで巨利を得ていた。

 マイアーが死去したこの年1812年、ナポレオン退治のための第6次対仏大同盟が結成されているので、そのため同盟国に資金を貸し付けているのであるが、これは3男のネイサンが音頭をとっていることになる。この時ネイサンは35歳である。やはりこの時も母(ビッグママ)のグトレが助言者になっていたのであろう。

 父マイアーの死後、1815年のワーテルローの戦いでナポレオンを敗北に追い込んで、この勝敗を誰よりも早く知ることによって、ネイサンはロンドン証券取引所で巨利を得たが、これについては先に書いた(令和2年11月16日)。これがネイサンの最初の大仕事となった。

 1773年、父マイアーが金融カルテルを結成して、1789年フランス革命(フランス人大虐殺)を起こしてフランスを潰し、ロスチャイルド家が奥の院の親玉に躍り出た。
 その後は何となくイギリスの3男ネイサンがマイアーの後を継いで奥の院の親玉の地位を承継したようである。勿論、ビッグママのグトレが5人の息子たちを束ね、「結婚はロートシルト家の親族内で行う」というマイアーの遺言に従って、娘たちの婚姻も仕切っていたことは容易に想像がつく。 「一族から過半数の反対がない限り、宗家も分家も長男が家督を継ぐ」という遺言があるので、3男のネイサンが家督を継いでいるわけではない。家督はフランクフルトに残った長男のアムシェル・マイアーが継いでいる。
 


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