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アムシェル・マイアーの時代

 1812年9月、父マイアーの死去に伴い、アムシェルは長男として家督を継いだ。

 彼は父マイアーが12人の富豪をフランクフルトに招集して金融カルテルを造った1773年に、この世に生を受けた。つまり、父マイアーが奥の院のドンとなった時に、この長男アムシェルは誕生している。
 その後1789年、フランス革命(ユダヤ人のフランス人大虐殺)が起きたが、その時、彼はまだ16歳で、関与はしていない。父マイアーの時代のことである。

 1795年5月、多くの貴族や官僚をギロチンに送り込んで大虐殺を実施していたフランス革命裁判所が廃止された。
 そして1799年、アムシェルが26歳の時、フランスで遂にナポレオンが軍事クーデターを起こして総裁政府を倒し、フランス革命が終結した。

 ところが翌年1800年1月、ナポレオンはフランスでの貨幣統一を目指し、フランス銀行を設立した。革命で混乱したフランスで通貨を発行し、経済の安定を図った。
 奥の院が通貨発行権については、誰の関与も許さないということはその後の歴史が証明している。父マイアーが「通貨発行権さえくれれば、法律などだれが作っても構わない」と言っている。だから奥の院は、以後ナポレオン潰しに邁進することになる。

 この年、長男アムシェルは次弟ザーロモンと共に父マイアーの会社(銀行)のパートナーとなる。したがってアムシェル兄弟の仕事は、父マイアーと共同でフランスのナポレオン潰しから始まったといえる。

 この年12月24日、クリスマス・イブの日、ナポレオン暗殺未遂事件「地獄の仕掛け事件」が起きている。
 1801年、ナポレオンは革命以後敵対関係にあったローマ教会との和解を目指す。教皇ピウス七世との間で政教条約を締結した。
 
 フランスの革命政府は、革命と称して、教会の聖職者の上層部を教会に引き出して、次々に鉈で撲殺し、社会の権威であったカトリック教会を潰した。したがって当然のことながら、ローマ教皇との関係は最悪の状態にあった。これを何とかナポレオンは修復したのである。
 
 またナポレオンは革命で亡命していた(逃げていた)貴族たちの帰国を許し、王党派やジャコバン派といった前歴を問わず、軍や行政に登用して、彼らとの政治的な和解を推進した。要するに、ナポレオンはフランス潰しにかかっていた奥の院にとっては、極めて都合の悪いことばかりをしていたことになる。だから早急に潰してしまわなければならない存在となった。
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