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次男ザーロモン・マイアー

 大王家の祖マイアーの次男である。

 1774年にフランクフルトのユダヤ人自治区(ゲットー)で誕生している。兄アムシェル(長男)の1歳年下で、後にオーストリアのウィーンに移住し、オーストリア・ロスチャイルド家の祖となる。兄アムシェルと同じくロスチャイルド2世である。

 1800年、26歳で兄アムシェルと一緒に父マイアーの銀行のパートナーとなった。
 1806年、32歳の時、ナポレオン率いるフランス軍が侵攻してきて、商売相手のヴィルヘルム1世(ヘッセン=カッセル方伯)が国外に亡命した。方伯は留守にしている間、ロスチャイルド家に所有債権の管理を委任して出て行った。そこで父マイアーと兄アムシェルの3人で方伯の債権回収に当たり、これが当面の仕事となった。

 同時にこの頃、ナポレオンがイギリスを屈服させるために大陸封鎖令を出し、イギリスと大陸との間の交易を遮断した。そこで彼ら親子3人は、たまたま2年前の1804年に、ザーロモンの次弟ネイサン(マイアーの3男)がイギリスに渡っていたので、彼と組んで密貿易を行って巨利を得た。

 1810年36歳の時、父マイアー、兄アムシェル、弟のカール、末弟ヤーコフ5人で父子会社「M・A・ロスチャイルド&サンズ」を創設したが、1812年に父マイアーが死去し、以後、兄弟4人でこれを運営する。
 そして、この会社は現在も世界中に事業所を持ち、世界中で投資銀行業務を行っている非公開会社である。

 1815年にナポレオンが敗退し、混乱したパリでフランス公債を投げ売りし、暴落させておいて底値で買い戻すという金融操作を行い大儲けした。同じことを弟ネイサンが、1815年のワーテルローの戦いの後、ロンドン取引所で行って巨利を得ている。いずれも、投げ売りして暴落させるほどのもの(玉)を持っていたと言うことである。

 その後、オーストリアの宰相メッテルニッヒからの融資依頼があって、これを受け入れ融資する。そして、これを切っ掛けとして、ザーロモンはオーストリア政府から移住の許可を得て、1819年に45歳でウィーンに移住した。

 ウィーンに居を構えたザーロモンはオーストリアの鉄道、海運、製鉄などの国家事業に積極的に融資し、3年後の1822年にはオーストリアのハプスブルグ家は、ロスチャイルドの5人兄弟全員に男爵位を与えた。
 その後1843年には、ユダヤ人に禁止されていた土地購入も解禁させ、ザーロモンは積極的に土地購入を続け、大土地所有者となる。

 1848年、欧州で同時革命が起きると、宰相メッテルニッヒはザーロモンの弟ネイサンのいるロンドンに亡命する。その後、ザーロモンも息子のアンゼルム・ザーロモンに留守を任せて国外に亡命し、1855年にパリで客死した。

 ザーロモンには1男アンゼルムと1女ベッティがいた。息子のアンゼルム・ザーロモンはその後、オーストリアのロスチャイルド財閥の家督を継ぎ、娘のベッティはザーロモンの末弟で、パリに行ったジェームズ・ロスチャイルドと結婚している。パリのジェームズは兄ザーロモンの娘ベッティ(姪)と結婚し、ここでも祖マイアーの遺言通り、母グトレの庇護のもと、近親結婚が行われている。
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