Entries

ネイサン・マイアー

 1798年、21歳でフランクフルトからイギリスのマンチェスターに移住した。その後1804年、27歳でロンドンに居を移した。ネイサンがマンチェスターにいる間の動きを追ってみる。

 フランスでは、フランス革命という嵐が吹き荒れた後、1799年11月、ナポレオンがクーデターを起こして、せっかく革命を起こして樹立した奥の院政府「総裁政府」を倒してしまった。
 アメリカでは1799年12月、ジョージ・ワシントンが瀉血(血を抜く)によって死去した。実質は医師を使っての暗殺である。
 1776年の「アメリカ独立宣言」発布の時、ベンジャミン・フランクリン、ジョージ・ワシントンら憂国の志士が、「ユダヤを近づけてはならない。さもなくば未来永劫に亘って後悔することになる」と言った。その後、アメリカはこの予言通りになった。だから、そんなことを言われると困ると言うことで、ワシントンは消されたのであった。

 1800年1月、ナポレオンがフランス内の貨幣統一を目指し、フランス銀行を設立した。通貨と経済の安定を図ったのである。これは奥の院の銀行であるイングランド銀行と対立することになる。これは奥の院としては絶対に許しておけないことであった。
 そこで、12月24日、ナポレオン暗殺未遂事件「地獄の仕掛け事件」が起きた。爆弾を使っての暗殺はこの時に始まる。

 1801年、ナポレオンは革命政府が高位聖職者を次々と虐殺して、ローマ教皇との関係が最悪の状態になっていたのを修復するために、教皇ピウス7世との間で政教条約を締結し、キリスト教会との和解を行った。

 1802年3月25日、フランスとイギリスがフランス革命戦争の講和条約であるアミアンの和約を締結した。しかし、イギリスは翌年1803年5月、オランダでフランスの船舶を拿捕し、アミアンの和約を破棄してフランスに宣戦布告し、ナポレオン戦争を引き起こした。
 フランスで革命を引き起こしてフランスを取りに行った奥の院は、その目論みが完了する直前に、ナポレオンというフランスの救国者が現れたため、改めてナポレオン潰しの戦争を始めなければならなかった。そしてこのナポレオン率いるフランス軍が強かったので、この戦争は欧州全土を戦争に巻き込んで、1815年まで続くことになった。

 1804年、ネイサンはロンドンに移住してイギリス・ロスチャイルド商会を設立する。この年5月フランスではナポレオンが皇帝に就任して帝政時代に入った。

 1806年、ネイサンはイギリスのユダヤ人大富豪リーヴァイ・コーエンの娘ハナ・ベアレント・コーエンと結婚する。ここでネイサンはモンティフィオーレ一族と閨閥を作り、モカッタ・ゴールドシュミットとも婚姻関係で結びついた。
 なお、1990年11月に誕生したイギリスのジョン・メージャー首相は、このモカッタ・ゴールドシュミット商会から誕生している。
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する