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ナポレオンとユダヤ人

 1804年、ネイサン・マイアーはマンチェスターからロンドンに移住した。そして1806年、レヴィ・ベアレント・コーエンの娘ハナ・ベアレント・コーエンと結婚した。

 この頃、欧州はナポレオン戦争の真っ最中である。王家にはお金がいる。例えば、2年前の1802年、バイエルン王国の筆頭宮廷ユダヤ人アーロン・エリアス・ゼーリマンがバイエルン王国の全税収入を担保に、300万フランケンを融資した。
 このようにして、各王国に巣くっている宮廷ユダヤ人金融屋が、王国に金を貸して戦争をさせるという構造は、この当時も今も変わらない。

 マイアーの3男ネイサン・マイアーの母グトレ(ロスチャイルド5人兄弟のビッグママ)は、親しくしている夫人が戦争の勃発を怖れていたので、「心配ありません、私の息子たちがお金を出さない限り、戦争は起きませんよ」と言って安心させたと言われている。
 このビッグママの言葉が真実で、現在も何ら変わりはない。国際金融資本家が資金を出さない限り戦争は起きない。そもそも戦争は起こるものではなく、起こすものである。誰が?

 この当時はまだ欧州では、各王国が独立して覇権を争っていたので、そこに巣くっている宮廷ユダヤ人たちが、その国の税収入を担保にとって、戦争資金を用立てる。勿論その税の取り立ては彼らユダヤ人金融屋が行う。
 既に書いたが、1773年ネイサン・マイアーの父マイアー・アムシェルが、欧州の富豪12人を集めて金融カルテルを結び、これに基づいて金融屋は各王国に資金を貸し付け戦争させている。この時はナポレオンを潰すために、反仏同盟を結成させた。反仏同盟の結成は、彼らが一斉にナポレオンと戦争させたと言うことである。

 ネイサンが結婚した1806年、ナポレオンはイギリスと大陸との関係を遮断するために大陸封鎖令を出したが、ネイサン兄弟はこれを逆手にとって大陸との密貿易を始めた。
 そこでナポレオンはこの不法活動を止めさせようと、名士(ユダヤ人金融屋)を集めてユダヤ問題を答申させた。そこでこの答申を受け、翌1807年2月にサンへドリン会議(ユダヤ人社会の最高意思決定機関)がパリで開催された。そこでの決定内容はナポレオンには当然伝達されたであろうが、一般には明らかにされていない。しかし、その後、反仏大同盟が結成され、ナポレオン潰しに向かっているので察しはつく。

 そこでナポレオンは翌1808年、ユダヤ人の国際的不法活動を制限するため、ユダヤ人にも一般フランス人と同じ法に従うよう勅令を出した。ユダヤ人はこれを「不名誉令」と呼んだ。ユダヤ人は自分たちの住んでいる国の法律には従わない、法を守らない。

 従って、ナポレオンは同じフランス人だから守るようにと勅令を出したら、これを不名誉令と言って反発したのである。我々に一般国民と同じ法律を適用するとは何事かというわけである。
 先の大戦直後、日本にいた朝鮮人や台湾人が、日本の法律を守らなかった。警察官が現行犯で逮捕すると、彼らはその警官に向かって「お前に俺を逮捕できるのか、俺は三国人だぞ」と言って堂々と立ち去ったが、それと同じであろうか。
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