Entries

米英戦争

 ネイサンの父マイアーが死去した1812年、ネイサンは既にロンドンに移住していた。

 前年1811年、イギリスでは産業革命で職を失った労働者が、機械打ち壊し運動=ラッダイト運動を起こして大混乱に陥り、しかもインフレが進んでいた。
 アメリカではこの年1811年、第一合衆国銀行が20年の認可切れとなり、奥の院としては、この認可を何とか更新させなければならない問題を抱えていた。

 そこで奥の院(ネイサン)はアメリカに戦争を嗾けた。マディソン大統領は国を護るためには強い中央政府が必要であると認識し始める。ところがアメリカ政府の債務は3倍に膨れあがっていた。ここで、資金を借りに行く先は奥の院しかない。 
この時、状況が分かっているネイサンは「合衆国銀行の銀行特許状更新と引き替えでなければ、如何なる経済的援助も準備され得ない」と言って、アメリカ政府の資金調達の道を断った。

 1812年6月18日、アメリカはイギリスに宣戦布告をする。父マイアーが死去(この年12月)する直前のことであった。
 1814年、アメリカの債券が消化できず(売れず)、20%割引となった。ネイサンを中心とした奥の院がこの債券を買わないからである。父マイアーが作った金融カルテルが効いてくる。結局、奥の院はアメリカの財政難につけ込んで、債券を20%安く買い叩いたのである。

 1815年、大陸でナポレオンとの最後の決戦、ワーテルローの戦いが行われ、ナポレオンが潰された。この時ネイサンは勝敗の結果を誰よりも早く知ることが出来るように仕組んでおいて、翌日の取引所で大芝居を打ち、巨利を得た。
 朝取引所が開くと同時に、持っている株と債券を投げ売りし、取引終了直前に底値で買い戻し巨利を得た。取引が終了した時点で、ロンドン証券取引所に上場されている全株式の62%を所有するに至る。特に、コンソル公債(償還しないが永久に利子を払い続ける永久債)で大儲けをし、彼の資産は一夜にして2500倍となったと言われている。もちろん、売り叩けるだけのものを持っているからこそ出来る技である。(令和元年12月27日通信参照)
 奥の院の一番大きな商売は戦争であることがよく分かる。

 この年、ネイサンはイングランド銀行を株式会社として所有する。アメリカでは第一合衆国銀行を失って、打ち出の小槌はイングランド銀行だけとなった。しかし、ネイサンはイングランド銀行を所有したことで、世界に通用する打ち出の小槌を所有したことになる。

 ネイサンは「私はイギリスがどんな傀儡を諸国の王位に就けようと、あるいはどんな国家に、太陽の沈まぬ帝国を治めさせようと、一切気にしない。大英帝国を支配するのは通貨供給を支配する者だ。それは私だ!」と言っている。世界の大王様は私だよと確認宣言をしている。
 父マイアーを名実ともに継承したと言える。彼はロンドン・ロスチャイルド家の祖である。
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する