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兄弟それぞれのロスチャイルド商会

 ネイサンの父マイアーが死去する前年の1811年、アメリカで第一合衆国銀行が中央銀行としての資格をなくし、奥の院としてはアメリカの通貨発行権を失った。

 そこでネイサンは英米戦争を引き起こし、アメリカ経済を苦境に陥れた。そして6年後の1817年、ようやく第二合衆国銀行を作らせた。(令和元年12月7日通信参照)。
 しかしまた20年という期限が付された。合衆国憲法で定められた「通貨発行権は議会が持つ」と言う基本原則がまだ何とか守られていた。その意味ではアメリカ合衆国はまだ奥の院からの独立は保たれていた。だからこそ、ロスチャイルド兄弟5人は、オーガスト・ベルモントら代理人を送り込んで、アメリカを取りに行くのである。

 1811年にパリに移住していたネイサンの末弟ジェームズが、この年1817年、フランス・ロスチャイルド商会を設立する。

 またこの年3月にはジェームズ・モンローがアメリカ大統領に就任し、ニューヨーク証券取引所が発足する(させる)。1773年に父マイアーが作った金融カルテルがアメリカでもこの取引所を通じて威力を発揮することになる。インフレを作ったり大恐慌を引き起こしたりする。

 1819年7月、英国は金本位制実施条令を発布した。金本位制を敷いて、イギリスのポンドを世界最強の基軸通貨とする。イングランド銀行(ネイサンらの奥の院銀行)に世界最強の通貨を発行させ、アメリカに第二合衆国銀行を作らせ、ニューヨークに証券取引所を開設させて、アメリカを取りに行く体制を着々と整えていく。

 1820年、ネイサンの兄ザーロモンがウィーンにオーストリア・ロスチャイルド商会を設立する。この年12月には、ジェーームズ・モンローがアメリカ大統領に再選された。
 翌1821年、ネイサンの弟カール(33歳)がイタリア・ロスチャイルド商会を設立した。
父マイアー亡き後、長男アムシェルがフランクフルトでロスチャイルド商会本部を守って、あとの兄弟4人がウィーン、ロンドン、ナポリ、パリと各地にロスチャイルド商会を作って欧州の支配体制作りに邁進することになった。

 1822年にはオーストリアのハプスブルグ家がこの5人兄弟全員に、男爵位を贈呈している。しかしロンドンのネイサンは贈呈された男爵位を使用しなかった。彼にしてみればその価値を認めなかったのであろう。
 むしろ、これからイギリス王室との関係を構築し深めていくのである。たまたま3年前の1819年に、世界七つの海に君臨することになる、ヴィクトリア女王が誕生している。そして翌1820年1月にはジョージ3世の死去に伴って、その息子で摂政を務めていたジョージ4世が即位した。
 この環境下でネイサンはオーストリアのハプスブルグ家からの叙勲は、そっと受け流したようである。


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