Entries

ナポレオン暗殺未遂事件

 1800年12月24日、クリスマスイブの日、ナポレオン暗殺未遂事件「地獄の仕掛け事件」が起きた。
 ナポレオンの馬車がパリのチュルリー宮殿からオペラ座に向かう時間とルートが分かっているので、その道に荷馬車を止めて道を半分塞ぎ、その荷馬車に爆弾を積んでおいて、その爆弾に導火線を繋ぎ、ナポレオンの馬車が通る瞬間に爆破させるよう装置した。馬の手綱は少女を雇って持たせておいた。

 先導の護衛の騎兵隊が、道を塞いでいる荷馬車を脇へ寄せる作業をして、その直後にナポレオンの馬車が疾走していったため、導火線の電源ボタンを押すタイミングが一瞬おくれ、ナポレオンの爆殺は未遂に終わった。
 馬の手綱を持たされていた少女は即死し、通りの通行人も多かったので、多数の死者を出した。目撃した通行人はほとんど死んでしまって、生存者がいなかった。

 ナポレオンはジャコバン党の仕業と断言している。関係者の多くが逮捕され処刑されたが、主犯のリモランはアメリカに逃れ、カドゥーラルはイギリスに逃亡した。陰謀を企てた奥の院としては、手先となって実行してくれる犯人は貴重であるから、きちんと逃がしているのである。しかし、後日フランスに戻り再度陰謀を企てさせたが、今度は当局も監視を厳しくしていたので、捕らえられて処刑されている。

 前年1799年11月9日に、ナポレオンはブリュメールのクーデターで総裁政府(奥の院政府)を倒し総領政府を樹立している。フランス革命がここで終焉した。
 このテロ事件は王党派の仕業という説もあるが、これは明らかに奥の院が情報を混乱させるために流すデマである。あらゆる状況と動機からして奥の院(この場合の手先はジャ党)の仕業である。

 この年1月には、ナポレオンはフランスの貨幣統一を目指し、フランス銀行を設立し、通貨と経済の安定を図った。奥の院の遂行したフランス革命を終わらせて、しかもその直後にフランス銀行を設立して通貨発行をしているので、奥の院としては我慢ならなかったのである。

 目的のためなら、どんなに犠牲者が出ようと構わないというのは彼ら(奥の院)の発想である。爆弾を仕掛けて標的を殺害するという手法は、この事件から始まった。
 その後アレキサンドル2世爆殺、張作霖爆殺と同じ手法を使って標的を暗殺し、しかももっと成功率を高めるようにしている。全て奥の院の実行してきた事件である。
 そしてこれを大がかりにした最近の事件が9・11事件である。

 このナポレオン爆殺事件が成功して、この時点でナポレオンを抹殺できていたら、奥の院の世界支配は15年だけ早まっていたことになる。




スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する