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アンドリュー・ジャクソン暗殺未遂事件

 1829年3月、アンドリュー・ジャクソンが第7代大統領に就任した。そして彼はサミュエル・インガムを財務長官に選んだ。この時、合衆国は1836年に20年の認可期限を迎える第二合衆国銀行の期限延長を、認めるかどうかという課題を抱えていた。

 ジャクソンは延長を認めない考えのインガムを財務長官に選んだ。インガムは、一民間銀行が通貨発行を独占するということは、合衆国憲法に違反するという考えを持っていた。
 この違憲状態は勿論今も変わらない。ジョン・ポール下院議員が「連邦準備銀行を廃止せよ」と言う本を書いて詳細に説明している。彼はこのために次の選挙では落とされた。

 一方、ジャクソン大統領は流通紙幣を禁止し、通貨は硬貨のみとすることと、第二合衆国銀行を廃止することを検討していた。当然奥の院と真っ向から対立することになる。
 表面的には、第2合衆国銀行の最後の総裁ニコラス・ビドルと対立する。今であればトランプ大統領がFRBを廃止すると言うことで、到底考えられないことであるが、しかし、この時はまだアメリカという若い国は、奥の院からは何とか独立を保っていたと言える。

 1831年、インガム財務長官とジョン・イートン陸軍長官の夫人マーガレット・イートンとの不倫疑惑(イートン事件)が持ち上がり、インガムは財務長官を辞任した。
 奥の院としては邪魔者の一人を排除した。事実かどうかに関係なく、マスコミを使って大騒ぎを起こして辞任に追い込むという手法は、今もしばしば使っている。

 第2合衆国銀行の認可期限を迎える1836年の前年1835年1月30日、ジャクソン大統領暗殺未遂事件が起きた。犯人のリチャード・ローレンスは至近距離からピストルを2度発射したが、いずれも不発で未遂事件に終わった。後から、そのピストルを検証したところ、弾は問題なく発射したので、人々は「大統領は神の摂理で守られた」と言った。一方、犯人のローレンスは精神異常者として罰せられず、施設に収容された。奥の院が彼を守った。

 ジャクソン大統領はこの時、「銀行は私を殺したいだろう、私は銀行を殺す。お前達は腹黒い盗人の巣窟だ、私はお前達を一掃する」とローレンスの背後にいる銀行家(奥の院)を非難した。
 1836年、第2合衆国銀行は「民間の中央銀行」としての営業を終了した。そしてアメリカ合衆国では1913年、FRBが設立されるまでの77年間、民間の中央銀行は存在しなかった。しかもこの間、アメリカ合衆国は大発展を遂げる。政府が奥の院に利息を払わなくても良いので、国が大発展を遂げたのは当然である。そして、国に民間の中央銀行はなくてもよいと言うことも実証された。
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