Entries

1837年アメリカ大恐慌

 1835年1月、奥の院はアンドリュー・ジャクソン大統領の暗殺に失敗した。そして翌1836年に認可期限が来る第2合衆国銀行は、中央銀行としての役目を終え、1841年に破綻し、消滅した。

 奥の院はそのことも見越していたのか、その前1834年から1836年にかけてアメリカを大インフレに導いていた。イギリス(奥の院ネイサン)から大量の資金が持ち込まれ、土地、綿、奴隷の価格が大暴騰していた。
 此の当時、土地と綿に並んで奴隷が国際商品であったことが興味をひく。奥の院が扱う国際商品のひとつの代表品目であった。歴史は此の事実は都合が悪いので隠蔽している。

 ところが、第2合衆国銀行の認可延長が認められないとなったので、奥の院は急遽金利を上げて、アメリカでの金融引き締めに政策変更し、1837年からのアメリカ大恐慌を作り出した。
 ニューヨークの銀行は一斉に金利を上げ、貸し剥がしを行い、綿の値段は4分の1に下落した。個人も会社も急激な信用収縮に見回れ破綻し、銀行も多くが破綻する。

 ジャクソン大統領のあとを受けて、第8代大統領に就任したマーティン・ヴァン・ビューレンは就任直後から大不況に見舞われることになった。しかし、ビューレン大統領はジャクソンの政策を変更しなかった。従って、彼は再選を果たせず、1期だけ務めた大統領となった。アメリカでは奥の院からの投資は激減し、マネーサプライは3分の1減少したと言われる。

 ところが、1839年から1843年、合衆国の国民総生産は10%以上の成長を続ける。その意味では奥の院の政策はアメリカでは失敗したと言える。奥の院の銀行がない状況下でアメリカ合衆国の大発展が始まったからである。

 そこで、奥の院は1837年5月、オーガスト・ベルモントを代理人としてアメリカに送り込んだ。彼はイタリアのカール・ロスチャイルド(ネイサンの弟)の庶子で、ロンドン・ロスチャイルドの祖ネイサンの甥(弟カールの息子)に当たる。
 ベルモントはアメリカに渡ってすぐに、キャロライン・ペリーと結婚しペリー財閥と結びついて、アメリカでの活動を開始している。そして1853年、妻キャロラインの父マシューペリーを日本に派遣し、鎖国政策を取っていた日本を砲艦外交で開国させることになる。

 その意味では日本の開国も、奥の院がアメリカに派遣したオーガスト・ベルモントを使ってなされたものである。つまり、日本の開国も、ベルモントの義父であるマシュー・ペリーを派遣しての開国であった。司令塔はロンドン・ロスチャイルドの祖ネイサンである。(令和元年12月5日、12月6日通信参照)
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する