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ジェームズ・ロスチャイルド

 ジェームズはマイアーの5人の息子たちの末子として、1792年5月フランクフルトで生まれた。

 1811年に19歳でパリに移住する。生まれた時の名前はヤーコブであったが、パリに移住した時にジェームズに改名した。父マイアーは翌1812年に死去しているが、この時はまだ生きていたので、やはり父マイアーの指示でパリに移住させられたのであろう。
 1804年5月に元老院決議でナポレオンが皇帝に即位(戴冠式は12月)していたので、ジェームズが移住した時はナポレオンの帝政時代であった。奥の院としては、せっかくフランス革命で奥の院政府(総裁政府)を設立していたのに、ナポレオンが現れてこれを倒されたのである。

 この時期、革命後にナポレオンが現れて、ロスチャイルド家はナポレオン戦争を戦っており、パリが重要な地であった。
 1808年11月にはナポレオンが20万の大軍を率いてスペインに侵攻し、スペインを支援していたイギリス軍を駆逐した。そこでイギリスはアーサー・ウェルズリー(ウェリントン公爵)を派遣して、スペインの反乱軍を支援する。そのための軍資金を運ぶ役目がジェームズの仕事だった。
 1806年にナポレオンが大陸封鎖していたので、ウェルズリーに軍資金を運ぶ必要があった。そこでロンドンにいた兄ネイサンと組んで、パリにいるジェームズがウェルズリーに金塊を届けた。
 20歳そこそこのジェームズがこれほどの大役を担えたのは、フランクフルトに残っていた長兄アムシェル・マイアー、ロンドンにいたネイサンと、兄弟たちの連係プレーが出来たからである。

 1823年にはジェームズ(31歳)はナポレオン失脚後、フランス政府の発行する1億2千万フランの公債を引き受けるシンジケート団を組織している(ナポレオンは1821年に配流先のセントヘレナで死去している)。ナポレオン失脚後はルイ18世が即位し、ジェームズは此の政府の国債を引き受けている。
 奥の院はルイ16世をギロチンに架けて殺害しているが、此の埋め合わせを考えてのことかどうかは分からないが、ここでルイ16世の弟を王位に就けて、ルイ18世を誕生させている。彼はナポレオン失脚後の1814年から死去する1824年までフランス国王の地位にあった(ナポレオンがエルバ島から戻ってきた一時期の百日天下を除いて)。

 ジェームズは1824年兄ザーロモンの娘ベティと結婚した。姪との結婚で、ここでも近親結婚が行われている。またジェームズの長女シャーロットもロンドンのネイサンの3男ナサニエル・ロスチャイルドと結婚する。これも、姪との結婚であるから近親結婚である。

 ナサニエルは結局1850年にパリに移住して、義父であり叔父でもあるジェームズの銀行経営に就いている。「結婚は近親で、経営は一族」でという祖マイアーの遺言通りにしている。
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