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ジェームズ・ロスチャイルド

 1811年、父マイアーがパリに派遣したジェームズ(19歳)は、最初はろくにフランス語が話せなかったと言われたが、ナポレオン戦争を戦っていたイギリスのウェリントン公に軍資金の金塊を届ける役目を無事にこなし、ナポレオン戦争での大同盟側の勝利に貢献した。
 当時のフランス政府は、彼がロンドンのネイサンと組んでしているのを誤解し、敵イギリスからうまく金塊を流出させていると解釈して、彼を賞賛したと言われている。

 ナポレオンが失脚したあと、フランス革命で処刑されたルイ16世の弟ルイ18世がフランス王に即位しブルボン復古王朝が成立する。しかしこの王朝は奥の院の傀儡政権であった。奥の院が若きジェームズを使ってフランスを統治していたと言える。

 フランス革命で大虐殺の嵐が吹き荒れ、地方に逃亡していた貴族たちが、復古王朝成立で続々パリに戻ってきた。彼らは財産をジェームズのパリ・ロスチャイルド銀行に預託するようになる。
 また、ナポレオン戦争の賠償金を決めるための協議(1818年のアーヘン会議)を奥の院が主催し、その関係で、パリの金融界では古参のベアリング銀行などを押さえて、新参者のジェームズがフランスの公債発行を独占することになり、ジェームズのパリ・ロスチャイルド銀行の存在感がいっきに増していった。

 1830年7月、7月革命でルイ18世のブルボン家の復古王朝が倒され、オルレアン家のルイ・フィリップが王位に就いた。オルレアン公は革命時、ルイ16世処刑に加担したブルボン家にとっては裏切り者であったが、そのオルレアン公の息子がこのルイ・フィリップである。
 この時ブルボン家が7月革命を鎮圧するのに必要とする資金をジェームズは、「ロスチャイルド銀行は戦争の為には一銭も金は出さない」とかっこよく宣言したが、要するにブルボン家を潰したのである。これまでも、これからも、ほとんどの革命や戦争には、奥の院が金を出して始めているのにである。
 奥の院はこうしてブルボン家とオルレアン家とをうまく争わせて、フランスの支配権を簒奪していったのである。ブルボン家が健在な頃は、欧州の覇権国であったフランスは、今では共和国となり、奥の院の属国として存在するだけの、憐れな国に成り下がった。ロスチャイルド銀行の若きマクロンがポット出てきて大統領になるような国になった。

 奥の院から国王にさせて貰ったオルレアン家のルイ・フィリップは、ジェームズに国債発行の独占を認めた。つまり、この時点で既にジェームズがフランスの真の支配者なのである。表の国王はルイ・フィリップ、実際の(奥の)王はジェームズ・ロスチャイルドという構図である。

 1836年、ロンドンのネイサンが死去すると、パリのジェームズがロスチャイルド家の当主(奥の院当主)となった。そして後に、ジェームズの息子のアルフォンソ・ロスチャイルドがロンドン・ロスチャイルドの祖ネイサンの孫娘レオノラと結婚することになる。
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