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ザーロモン・ロスチャイルド

 祖マイアー・アムシェルのフランクフルト本家を継いだ長男アムシェル・マイアーには子供がなかったので、フランクフルト・ロスチャイルドには3世はいない。

 オーストリアに移住した次男のザーロモンにはアンゼルム・ザーロモンとベッティの1男1女がいた。娘のベッティはパリの叔父ジェームズに嫁いだ(近親結婚)。
 長男アンゼルムはロスチャイルド3世であり、ウイーン・ロスチャイルド家2代当主となる。
 父ザーロモンの事業を継ぎ、1855年に父・ザーロモンが死去した年にクレディトアンシュタルト銀行(後のオーストリア銀行)を設立した。勿論、ロスチャイルドの銀行であるから民間銀行である。中央銀行ではない。

 オーストリアの中央銀行は、ずっと後の1923年に設立されたオーストリア国立銀行で、その前身は、ザーロモンがウィーンに移住する前の1816年に設立されたオーストリア国立特別銀行である。しかし、1848年の欧州同時革命以後はザーロモンがこの銀行の主(ぬし)となって支配している。

 ウイーン・ロスチャイルド家2代当主となったアンゼルム・ザーロモンはロンドンの叔父ネイサンの長女シャーロットと結婚(近親結婚)し、4男4女に恵まれた。長男は夭折したが、次男のナサニエル、3男フェルディナンド、4男アルベルトは、いずれもロスチャイルド4世である。

 1861年、58歳でアンゼルム・ザーロモン(ロスチャイルド3世)はオーストリア貴族院議員となる。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は彼の私邸を訪問している。時代は300年弱ほど溯るが、秀吉が造った聚楽第を後陽成天皇が行幸されたのに似ている。
 アンゼルムが秀吉で、後陽成天皇がフランツ・ヨーゼフ1世ということになる。
 勿論、後陽成天皇の場合は「ご苦労さん」という意味で、秀吉を労う「行幸」であるが、ヨーゼフ1世の場合は皇帝にして貰ったことに対する「お礼」である。意味内容は全く異なる。秀吉は後陽成天皇の上には立っていない。むしろ拝跪している。

 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、欧州同時革命が起きた1848年12月に即位しているので、この同時革命を引き起こしたロスチャイルド家(奥の院)に、即位させて貰ったようなものである。
 だからこそ、アンゼルム・ザーロモンが貴族院議員となり、ヨーゼフ1世がアンゼルムの私邸を訪問し、その「お礼」を言うということになる。表の皇帝はヨーゼフ1世、裏の皇帝(実質の帝王)は奥の院のアンゼルム・ザーロモン・ロスチャイルドというわけである。

 1874年7月に71歳で死去するが、オーストリア銀行は4男のアルベルトが継承した。3男のフェルディナンドはその前にロンドンに移住し、ライオネル・ロスチャイルド(ネイサンの息子)の娘イベリナと結婚(近親結婚)し、イギリスの庶民院議員になっている。
 

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