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アルフォンス・ロスチャイルド

 1827年、祖マイアーの5男ジェームズ・ロスチャイルドの長男としてパリで生まれた。ロスチャイルド3世でパリ・ロスチャイルド家2代当主である。

 1868年(日本が開国した明治元年)父ジェームズ(パリ・ロスチャイルド家の祖)が死去し、アルフォンスが41歳でパリ・ロスチャイルド家を継いだ。
 彼の姉のシャーロットはロンドン・ロスチャイルド家の祖ネイサンの3男ナサニエルと結婚(近親婚)している。

 次弟のギュスタブ(ジェームズの次男)は兄のアルフォンスと共にパリ・ロスチャイルド家の家業に従事した。
 3男のソロモンは1864年に29歳で早世している。4男のエドモンは1877年32歳でナポリ・ロスチャイルド家ウィルヘルム・カールの娘アーデルハイドと結婚(近親婚)し、1882年にはパレスティナに入植して、「パレスティナユダヤ植民協会」を設立し、早くから後のイスラエル建国に関わっている。

 1870年7月、普仏戦争(フランスとプロイセンの戦争)が勃発し、9月にナポレオン3世は捕虜となり、フランスの第2帝政は崩壊した。
 戦争になる直前5月、ナポレオン3世はロンドン・ロスチャイルド家(奥の院)に、フランスとプロイセンとの紛争の仲介をして貰うことを、アルフォンスに依頼している。彼は誰が差配しているのか分かっているのである。

 ナポレオン3世に頼まれたアルフォンスは、ロンドン・ロスチャイルドの当主であるライオネルの息子ナサニエル(従兄)にこれを相談している。しかし、イギリス政府(奥の院)は仲介する立場にないと断っている。つまり、ロンドン・ロスチャイルドはフランスの第2帝政のナポレオン3世を見放して潰したのである。

 パリのジェームズ(アルフォンスの父)は1868年に死去しているので、この時はロンドン・ロスチャイルドの2代当主ライオネルが奥の院を仕切っていた。そこでナポレオン3世はアルフォンスを通じて奥の院に助けを求めたわけであるが、これが断られて潰されたのである。

 フランスは1848年の欧州同時革命で、ルイ・フィリップ(ブルボン家支流のオルレアン家)の復古王政が倒され共和制となり、ナポレオン3世(ナポレオンの甥)が大統領に選出されたが、彼はその3年後の1851年、国民議会に対するクーデターを起こして皇帝に即位し、フランスは第2帝政時代となっていた。しかし、奥の院(ライオネル)はこの第2帝政をプロイセンを使って潰したわけである。

 フランスはブルボン(ルイ)王朝がロスチャイルド家の祖マイアーにフランス革命(フランス人大虐殺)で潰され、救世主として現れたナポレオンはマイアーの息子ネイサン(最後はワーテルローの戦い)に潰され、その後ブルボン家の支流オルレアン家が建てた第2帝政はネイサンの息子ライオネルに潰されている。

 欧州の大国フランスはこうしてロスチャイルド家が3代かけて完全に潰し、今ではロスチャイルド銀行にいた若いマクロンが大統領になっている。奥の院の傀儡国家であって、決してフランス人の国ではない。

 イギリスはその1世紀以上前に既に、清教徒革命で国王を公開処刑にされ、その後の名誉革命でオランダからウィレム3世を連れてきて王に立てられ、それに抵抗したジャコバイトが潰されて、完全に奥の院の傀儡国家になっている。

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