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アルベルト・ザーロモン

 父はウィーン・ロスチャイルド家2代当主アンゼルムで、母はロンドン・ロスチャイルド家の祖ネイサンの娘シャルロットである。
 パリ・ロスチャイルド家当主アルフォンス(パリロスチャイルド2代当主)の娘ベッティナ・カロリーネと結婚し、5男2女7人の子に恵まれた。

 アルベルトは4男(ロスチャイルド4世)であるが、父(1874年死去)の遺言でウィーン・ロスチャイルド家(銀行業)を継ぎ、ロスチャイルド4世でウィーン・ロスチャイルド3代当主となる。

 長兄のマイアー・アンゼルムは夭折し、すぐ上の兄フェルディナントは1860年にロンドンに移住し、1865年にロンドン・ロスチャイルド家2代当主ライオネルの娘イヴェリナと結婚し、その後もイギリスに帰化してイギリスの庶民議員になっている。イギリスの政治家になったのである。

 父アンゼルムの代から引き続き、オーストリア皇帝ヨーゼフ1世との間は良好であった。アルベルトも宮殿への出入りを許され、特に姉のジュリーがエリザベート皇后の寵愛を受けた。
 ヨーゼフ1世は1848年の欧州同時革命の時、18歳で皇帝に即位し、68年間の長期に渉って皇帝の地位にあった。しかし、晩年1914年サラエボで、フェルディナンド皇太子が暗殺され、第一次世界大戦の途中1916年11月に死去している。

 ヨーゼフ1世も1848年に奥の院に皇帝にして貰って、長期政権を打ち立てたが、最後はまた奥の院の起こした第一次世界大戦で後継者・皇太子を暗殺され、その後間もなくして死去している。

 アルベルトは1911年2月に死去するが、家業の銀行業は第4子3男のルイス・ナタニエル(ロスチャイルド5世、ウィーンロスチャイルド4代当主)が承継した。

 この時期のロンドン・ロスチャイルド家(奥の院)は、ライオネルの長男ナサニエリ・マイアー(ロスチャイルド5世)からその息子のナサニエル・チャールズ(ロスチャイルド6世)の時代に移っている。ナサニエル・マイアーは1915年3月、第一次世界大戦中に死去している。

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