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ナサニエル・マイアー・ヴィクター

 1910年10月、ナサニエル・チャールズの次男として生まれた。

 父チャールズは1923年3月に46歳で自殺した。父は1903年(明治36年)26歳でまだ独身の頃、日本を訪れている。そして日本が気に入って、友人に「日本は天国だよ、親がとやかく言わなければここで暮らしたい」と書き送っているくらいである。そして帰国後、「日本にN・M・ロスチャイルド&サンズの支店を置くべきだ」と進言もしている。
 しかし、これは父ナサニエル・マイアーに却下された。明治36年と言えば、日本は朝鮮問題がこじれ日露戦争に突入しようとしていた時期である。
 父チャールズは帰国後1907年30歳で結婚し、1910年に長男ナサニエル・マイアー・ヴィクターが誕生する。
 1915年、38歳の時、父ナサニエル・マイアー(ヴィクターの祖父)が死去し、ヴィクターは父の家業の銀行業を引き継いだが、2年ほどで体を壊して退任し、その後、精神を病んで1923年自殺した。1923年といえば日本は大正12年、関東大震災に見舞われた年であった。
 父マイアーは日本を見て、日本に好意を持っていたので、奥の院がこれから潰そうとしている日本に関し、精神的葛藤があって、立場上感じる重圧もあり、それに絶えられなく自殺したのではないかと思われる。立場上あらゆる機密に接するからである。しかし、その後の日本に対する奥の院の仕打ちと、日本の悲惨な運命を見ずに済んだことは、彼にとっては幸いだったかも知れない。

 第2代ロスチャイルド男爵位は初代男爵ナサニエルの長男ウォルターが継いだが、ウォルターは1937年に死去し、彼に息子がいなかったので、甥のヴィクターが第3代ロスチャイルド男爵となった。本来であれば父チャールズが継承するところであるが、2代男爵ウォルターが死去した1937年には、父チャールズは既に死去していたからである。

 1933年12月、サー・ジョージ・ハッチンソンの娘バーバラ・ジュディスと結婚し、1男2女に恵まれ、更に1946年テレサ・ジョージナ・メイヨーと再婚し2男2女を儲けている。 

 ヴィクターが27歳で男爵位を継いだ1937年と言えば昭和12年、日本は支那での連続テロ事件で苦しんでいた時である。奥の院が支那を嗾けて日本を戦争に引きずり込もうとしていた。その奥の院の総裁が、この第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターであった。父チャールズは日本が気に入っていたが、息子のヴィクターはその日本を潰すことを決めている。

 ヴィクター男爵が個人として決めたわけではなく、奥の院という組織がそうさせたとも言える。恐らくこれもサンヘドリンの決定であろう。サンヘドリンについてはまたの機会に書く。
 しかし、彼はMI5(イギリス情報部)を指揮し、イスラエルのモサド(イスラエル情報部)を育成しているので、奥の院の長としての自覚も充分持っていたと言える。日本に関しては父チャールズとは正反対な認識を持っていた。

 ヴィクターはアメリカのフランクリン・ルーズベルトとイギリスのウィンストン・チャーチルを使って、支那の蒋介石を嗾け、日本を先の大戦に引きずり込んだ奥の院のドンであった。
 しかも、ヴィクターは1937年男爵位を授与されてから1990年3月死去するまで、イギリスの貴族院議員の席にあった。終身貴族院議員として、イギリスの政治を仕切っていたわけである。表はチャーチルなどを立てており、裏で指図する、これが奥の院である。奥に隠れて姿を見せないから非難の対象ともならない。この構造は今も続いている。

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コメント

[C38]

シナ大陸でコミンテルンが暗躍したことは研究がかなり進んでいるのでしょうが、そのバックはというと視野に入っていないのですね。改めて思いました。
陰で操る存在にしても、資料はほとんど無いでしょうから。

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