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ある往復書簡

大王様の祖マイアー・アムシェルが誕生した1744年を溯ることおよそ1世紀、イギリスの話。

1647年6月16日付け、オルイバー・クロムウェルからエベネゼル・プラット充て
「経済支援の見返りに、ユダヤ人の英国への入国を提唱しよう。しかしながらこれは、チャールズ(チャールズ1世)が生きているかぎり、実行し得ない。しかし、裁判に掛けない限り、チャールズの処刑は不可能であり、現在のところ裁判に掛ける適切な証拠も存在しない。それゆえ、暗殺があり得ることをチャールズに諫言するがよかろう。とはいえ、当方には暗殺者の手配に関わるつもりは一切ない。チャールズの逃亡を手伝うだけだ」

これに対して、プラットは7月12日
「チャールズが除去され、ユダヤ人の入国が認められ次第、経済支援を行う。暗殺は危険すぎる。チャールズの逃亡の機会を与えるだけで良い。その後の身柄を拘束すれば、裁判に掛けることも、処刑することも可能となる。支援は惜しまないが、裁判が始まらないうちから、金額についての議論をしても意味がない」

この1通の往復書簡からこの時期
1 ユダヤ人が英国に入国することを認めろと強硬に要求している(ユダヤ人は1290年に全てイギリスから追放されていた)
2 追放されていなかったはずのユダヤ人が、一部既に入国しており、相当な勢力を持っていた
3 ユダヤ人入国には国王のチャールズ1世が断固反対している
4 クロムェルがイギリスの政治上重要な立場におり、何とかユダヤ人の要求を認めようとしている
5 クロムウェルもユダヤ人側も完全に癒着しており、クロムウェルは国王を殺してでも、このユダヤ人たちの要求を満たしてやって、その見返りに経済支援を得たがっている。この経済支援が本当にイギリス国民のためなのか、彼個人のためなのかは不明であるが、彼個人のためなら、彼は完全なる売国奴である。
6 ユダヤ人がイギリスの裁判を支配できるような地位にいる
等の事情がよく分かる。

クロムウェルは、国王に忠誠を誓うと思われる議員の大半を、議会から追放した。そして翌1648年12月5日の下院議会で「国王によって提出された譲歩案は和解のために納得できる」と議会は同意した。しかし、これではクロムウェルは、プラットを介しての金融屋からの黒い金を得られなくなるので、国王との和解を支持した議員を再度議会から追放した。

ところが、チャールズ1世に対する犯罪告発状を創案する英国人法律家などいなかった。そこでユダヤ人のアイザック・ドリスラウスに命じて告発状を書かせた。国王チャールズ1世は、英国民ではなくユダヤ人で国際金融男爵の差し向けた者が書いた罪状に対して有罪を宣告され、1649年1月30日、ロンドンのバンケッティング・ハウスの前で公開処刑された。
なお、バンケッティング・ハウスはスチュアート朝時代に造られ、晩餐会や舞踏会用としてのみ使用されていたイングランド朝の邸宅である。

これが歴史として教えられる清教徒革命、ピューリタン革命である。極めて美しい名前で歴史に残している。奥の院は自分たちに都合の悪い事件には極めて美しい名前をつける。そして羞悪な点は語り継がないようにしている。次に起こす名誉革命にしても同様である。

この国王処刑の日、1649年1月30日、イギリスという国は滅亡してユダヤ人の国になった、つまり、イギリスという国はユダヤ金融屋に乗っ取られたのであった。ユダヤ金融屋はイギリスという仮面をかぶって、世界支配に乗り出したのである。
クロムウェルの売国奴として果たした役割は大きかった。

ユダヤ金融屋はイギリスという国を使って世界支配に乗り出し、後に大王様が現れて、この路線をひた走っている。

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