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ナポレオンが戻ってきた

1814年4月16日、大王様率いる奥の院は、ナポレオン戦争に勝利しフォンテンブロー条約で、ナポレオンをエルバ島に流し、欧州各国の代表をウィーに集めウィーン会議を開催した。ところが各国の要求がそれぞれで、まとまらず会議は踊るとなった。

そうしているうち、翌1815年3月、ナポレオンがエルバ島を脱出して戻ってきた。慌てた大王様、会議を早々にまとめてウィーン議定書を作成させて、再び反仏大同盟を結成させ、ワーテルローの戦いでナポレオンを破り、今度は決して戻ってこれない大西洋の真ん中にあるセントヘレナ島へ流した。

そして1821年5月5日、ナポレオンがセントヘレナで死去する。奥の院が食事の中に少量のヒ素を混入して毒殺した。大王様がいかにナポレオンを警戒したが良く分かる。
その上で、ウィーン会議でウィーン議定書を締結させ、ウィーン体制が発足する。

翌1822年、ハプスブルグ家がロスチャイルド5人兄弟全員に男爵位を授与した。但し、ロンドンのネイサンはこれを辞退している。彼は明らかに王家を越えた存在であることを意識していた。
この年、ウィーン会議を主導したカッスレー卿がジェームズ四世に拝謁し「ヨーロッパに別れを告げなければなりません」と打ち明け、自邸に戻り、ペンナイフで頸動脈を切って自害した。ウィーン体制が奥の院支配体制であったことに危機感を持ったのである。

ここで欧州の王家はイギリスを除いてほぼ潰されたのであっる。王家を次々と潰していくのは、太古の昔からユダヤ民族のしてきたことである。
近世に入ってからは、大王家が中心となってこの政策を推進していくのである。最初はイギリスで清教徒革命を起こしスチュチャート朝を潰し、次にフランス革命でルイ王朝を滅ぼし、この度フランスを救おうとしたナポレオンを亡き者とした。邪魔者は潰す。

続いて、大王家奥の院が世界の王朝を次々と潰していくのが近現代史である。先の大戦までに世界の王朝はほぼ滅ぼされ、残ったのが日本の天皇王朝である。
これから日本の天皇を潰しにかかるのであろうが、残念ながら先の大戦で日本の天皇も半ば滅ぼされれているとも言える。

日本の反日政治家が盛んに奥の院の意を受けて、天皇潰しに奔走している姿が見えるようである。「天皇皇族たちと同じ空気を吸うのが嫌だ」という政治家が、メディアに支持され堂々と国政を攪乱している。日本での清教徒革命に相当する大仕事をこれからしようとしているのであろうか。

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