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続・ペスト禍

昨日に続いて

 非ユダヤ人は、ペストがユダヤ人のいる地域で最初に発生していることにすぐに気付いた。しかし、ユダヤ人が黒海の港町カッファからこの病気を運び込んだとは思いも及ばなかった。最初に思いついたことは、ユダヤ人が井戸に毒を投げ入れたというものだった。

 ある噂が、非ユダヤ人の間に広まった。「ユダヤ人の支配者たちの秘密会議サンヘドリン(70人からなるユダヤ最高法院)がスペインのトレドで開かれ、井戸に毒を投げ込んで非ユダヤ人を根絶せよとの命令を下した」という内容だった。

 この噂には根拠があった。というのも、ユダヤ人がペストを広めたと非難されないように、ペストのユダヤ人犠牲者の死体を井戸に捨てて、素早く処分したからである。このために勿論、井戸水を使う数百人の人たちが感染した。
 更に、また別の根拠もあった。それはユダヤ人は儀式殺人(これについては機会を改めて書く)で非ユダヤ人の子供を殺すが、その遺体をよくこうした井戸に投げ込んできたと言うことである。

 多くの社会が反ユダヤの行動を起こした。
 ユダヤ人は国から国へと逃げ回り、それでペストはさらに急速に広まった。ナポリでは、怒った非ユダヤ人によって多数のユダヤ人が海へと追い立てられ、溺死した。彼らの死体はナポリの海岸沿いに何万マイルにもわたって打ち上げられた。そしてさらに人々に伝染していった。

 ユダヤ人の船荷はヨーロッパの海岸に沿って航行したが、陸揚げを許されなかった。なぜなら、どの国もユダヤがこの疫病の運搬者だという警告を受けていたからである。ユダヤ人が船上で死ぬと、その死体は海に捨てられ、これもまた海岸に流れ着き、ペストは以後50年も衰えず猛威を振るった。

 ヨーロッパの人口の5分の1に当たる2500万人の人がペストで恐ろしい死に方をした。それは文明がかつて味わった中でも、最も恐ろしい惨禍であった。この時ユダヤ人が持ち込んだペストは、あと一歩で宿主である非ユダヤ人を一掃しそうな勢いだったのである。

 ペスト菌は、この欧州における大惨事からおよそ550年後の1894年(明治27年)になって、日本の医学者の北里柴三郎が発見することになる。この時、北里は香港でペストが発生したので急遽呼ばれたが、彼は香港に着いて1週間でこのペスト菌を発見している。しかも、その感染経路が鼠であることも突き止めた。

 黒海の港町カッファから、ユダヤ人がペスト菌を持ち出してヨーロッパに広めた大惨事であったが、これはユダヤ人も全く分からずにしたことで、気の毒なことではあった。これも原因となってヨーロッパでユダヤ人を追放する国も出てきたのは不幸なことであった。
 しかし、ユダヤ人はこれで迫害を受けたと叫ぶが、この経緯を考えると、追放されることもまた無理からぬ事だったと思われる。疫病の蔓延で起きた歴史に残った大惨事の1つだったのである。
 
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