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孝明天皇の詔

 江戸時代後期になると、外国船が日本の近海を盛んに彷徨くようになった。全て奥の院の支配下にある船である。この頃は、祖であるマイアーの曾孫にあたるライオネル・ド・ロスチャイルドの時代であった。
 
 1847年(弘化4年)4月25日、孝明天皇は石清水八幡宮に奉幣(金品奉納)され、以下のような趣旨の攘夷祈願をされた。(延暦寺が京を護る表鬼門で、この石清水八幡宮は裏鬼門である)

 「特に申し上げます。近頃、相模国御浦郡浦賀の沖に夷(えびす)の船がやって来ましたので、その来た理由を尋ねましたところ、交易をしたいと申します。そもそも交易は、昔より信(まこと)が通じない国に乱りに許しますと、国體(こくたい)にも関わりますので、たやすく許すべき事ではないと許してはおりません。必要な衣食を与えて逐い還しました。ところが、また肥前国(長崎県)にも、やって来たと聞きました。利を貪る商売か、(侵略の)隙を伺う姦賊か、事情も分かりませんのでどうしたものかと、寝ても覚めても心から離れません。畏き大菩薩さま、再びやって来ましても、大風や大波を起こして追い払い、4海禍(わざわい)無く天下穏やか、民安らかになりますようお護り下さい。」

 孝明天皇は、信(まこと)の無い連中と貿易することは、日本の国體に関わる重大事であるから、乱りに許すわけにはいかないと考えられ、ここにそれを追い払う祈願をしておられる。この頃から欧米列強は盛んに日本を開国させ、あわよくば植民地にしようと画策し始めているのである。そこで孝明天皇は、何とかこの連中を追い払いたいと祈願されたのである。

 現在の価値観では、貿易することに最高の価値があるように洗脳されているが、孝明天皇は相手に信が無ければ交易してはいけないと思われたのである。この点は今の大陸、半島を見れば誰にでも納得できるであろう。従って、孝明天皇は崩御されるまで終始、攘夷を祈願し続けられた。

 しかし、日本は孝明天皇が崩御された途端に開国し、魑魅魍魎の世界におびき出され、苦難の末に今日がある。この間、多くの民が虐殺され、国土は灰燼に帰した。しかも、民の心は汚れきってしまった。穢されてしまった。

 孝明天皇の御世は、領土は大八洲で、およそ3千万人の民は概ね平和に穏やかに暮らしていた。ところが、孝明天皇崩御のあとは、天皇の攘夷祈願をあざ笑うかのように、外に出て行って150年、いったんは領土を広げ、文明を発展させたが、その間、対外戦争を繰り返し、とうとう先の大戦で国土は焼かれ、民は大虐殺に逢い、領土は孝明天皇の崩御された時と同じものになっている。

 しかも、精神は劣化し、国家は滅亡の淵に立たされている。多くの国民が自分の国である日本を嫌い、外国勢力の手先となって、何とかこの神国を潰そうと画策している始末である。
 そして困ったことに、日本国の王である天皇を、世論調査など行って人気投票で決めようとしている。本当に「こんな国に誰がした」と叫びたい。

 150年前の孝明天皇の祈りを無視して、魑魅魍魎の奥の院の支配する濁りきった汚れた世界に出て行った罪ごとが今に現れているのである。自分では良き世界に船出したと思っているのであるが、実際は彼らにおびき出されたのであることには、気付いていないようである。
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