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バビロニアとユダヤ文明

 ユダヤ人は、「ユダヤ民族こそ古代世界における最も重要な文明であった」と自信を持って主張するのであるが、実際はパレスチナのユダヤ民族は、古代の数少ない記録の中では、それほど注目される存在ではなかった。パレスチナにユダヤ文明の存在を証するような遺跡など存在しない。ギリシャ建築は、パレステチナの手前で終わっている。 

 ユダヤ人の歴史家のカシュタインは『ユダヤ人の歴史』の中で、次のように書いている。

 パレスチナにいた取るに足らない小国・ユダヤ王国はアッシリアの属国であり、とても小さいがために放任された。(中略)。この小さな国の周囲に帝国を目指す巨大な国が次々に出現したのである。

 ではパレスチナを「取るに足らない小国」と定義したユダヤ人歴史家のカシュタインと、「ユダヤが人類最大の文明である」と学生に教える、現代アメリカの大学の学者や教授の論説を、どのように両立させたらよいのであろうか?

 事実を言えば、「ユダヤ文明など存在しなかった」ということである。ただ、彼らが寄生した国家の文明にとっての悪影響があっただけである。しかもその悪影響は、いつも宿主国家にとっては致命的であった。いつも、その国家にとって滅亡の原因となったのである。 

 バビロニア(現在のイラクとその周辺)の運命もその典型であった。

 古代世界の全能の統治者であったネブカドネザル王は、侵攻したパレスチナで、ユダヤ人強盗団に関する多くの不満を聞かされた。そこでバビロニアの軍隊は、ユダヤ人を容赦なく砂漠や荒野に追撃し、全て殺すか、捕らえるかしたのである。紀元前586年(日本の建国直後当時)のことであった。

 その頃の慣習として、ネブカドネザル王は、生存者を奴隷として本国に連れ帰った。

 これら3万人におよぶユダヤ人捕虜(バビロンの幽囚)たちは、バビロニア帝国に住み着き、ユダヤ人独自の居留地・ゲットーを形成し、自治をを許された。ユダヤ人歴史家ジャーソン・コーエンも、「バビロンにはユダヤ人しか住んでいない地域(ゲットー)がたくさんあった」と書いている。 

 それから僅か50年を経ずしてバビロンは滅んだ。ユダヤ人は自由を満喫していたにも拘わらず、帝国の転覆を企てたからである。 

その当時、ペルシャ王国がバビロニアの北方にあった。そのペルシャ国王キュロスは、バビロンを攻撃し、その富を獲得したいという野心を持っていた。しかしキュロスは、自分の軍隊がそれを可能にするに十分な軍事力を持っていないことを承知していた。そこへユダヤの密使がキュロスのもとを密かに訪れ、喜んでキュロスのために城門を開くと申し出たのである。

 当初キュロスは「これは罠だ」と疑い、最初の使者を処刑したといわれている。しかし後に、ユダヤ人は、これが本気であるとキュロスを納得させるのに成功した。ユダヤ人は見返りとして、パレスチナの土地をユダヤ人に返還するように頼んだ。

 紀元前539年キュロス王の軍隊は、バビロンに現れたのである。

 
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