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バビロニアの末路

 ペルシャのキュロス大王庇護のもと、ユダヤは、バビロニアの住民からの略奪を許された。キュロス大王がペルシャに持ち去らなかった富は全て、ユダヤ人の財産になった。その結果、ユダヤ人はバビロニアにおいて、裕福で勢力のある支配者階級を形成したのである。しかし、彼等はこの地域の民のための国家を作ることはしなかった。

 ただこの時期、彼等はユダヤの倫理を成文化し、それが『バビロニア版タルムード』として書き記された。これが現在もユダヤ人を律している。従って、現在のユダヤ人の法律がこの時期にバビロニアで出来上がったということになる。但し、このタルムードは公にされておらず、非ユダヤ人には明らかにされていない。厳しく秘匿され、これを英語などに翻訳すると殺害される。

 1935年、ラビ=ヘルツは著書『ソンシーノ・タルムード』の中で次のように書いている。
 「バビロニアのユダヤ人支配は、紀元前586年直後から紀元後1040年までの1626年間に及んだのである」と。
 またラビ=ヘルツは「バビロニアはペルシャのキュロス大王に征服されたのち、ユダヤ自治、つまりユダヤ人自身による統治の中心となった」と述べている。国家を裏切ってキュロス大王に国を明け渡した際に、ユダヤ人が果たした役割を、極めて正確に書き残している。ユダヤ人はバビロニア帝国を乗っ取ったばかりでなく、故国に帰るキュロス王に従って行き、ペルシャにも大きな居留地(自治区)を築いたのであった。

 また、「ギリシャ人とローマ人の中のユダヤ人」の著者マックス・レイディン(1880~1950)は次のように述べている。
 「ペルシャ時代には事実上、自治が行われたので、ソフェリーム(Soferim)即ち律法学者という、よく組織が整った僧官支配階級の確立を許した。律法学者とは、法典を学んだ者のことで、僧官(宗教指導者)としての明確な機能を果たしたわけではない」
 レイディンは回りくどい表現をしているが、述べたかったことは、この律法学者たちは僧官(宗教家)などではなく、ユダヤ自治共同体の支配者(奥の院)であったということである。集会を開いてイエス・キリストに磔刑を宣告したのは、この律法学者たちであった。

 要するに、ユダヤ人はメソポタミアをペルシャのキュロス大王に滅ぼさせた上で、この地域を1626年という、気の遠くなるような長期にわたって支配したのであった。バビロニアがいつ滅亡したのかは明確ではない。しかし、少なくとも、バビロニアの民が国を建てたことはない。
 5世紀の神学者テオドレトスは、最末期のこの地域の住民の数は少なく、彼等はアッシリア人でも、バビロニア人でもなく、ユダヤ人であったと書き残している。

 ユダヤ人はパレスチナで余りにも悪さをするので、バビロニアのネブカドネザル王が彼等をを追放し、捕虜3万人を連れ帰ったが、50年後には隣のペルシャの軍を密かに引き入れ、あっという間にバビロニアは滅ぼされた。そしてその後は、ユダヤ人に食い散らかされ今日に到っている。現在のイラクを中心とした地域である。つい先頃も、イラク戦争と称してユダヤ人(奥の院)率いるアメリカに、いわれ無き攻撃をされ、改めて廃墟にされた。
 ジョージ・ワシントンが建国に当たって、「ユダヤには気をつけろ」と言ったのは、極めて重要なことを指摘していたのである。だから、彼はユダヤ人医師の瀉血によって殺害された。
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