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王妃エステル

昨日に続いて
 ペルシャ人(非ユダヤ人)の大虐殺がペルシャ帝国全土で行われた。

 これはアハシュエロス王が、「どの町にいるユダヤ人にも、ユダヤ人の命を守るためにユダヤ人は団結して、彼らを襲う恐れのある民や軍隊を、その子供や親族も含めて、残らず殺害し根絶やしにすること」を許したからであった。また、王は彼らの財貨を奪うことも許した。

 これはユダヤ人モルデカイが、宰相ハマンを処刑した後、ハマンに代わってアハシュエロス王の次ぎに位し、ユダヤ人の中でも大いなる者となって,王から「彼らを襲う恐れのある民や軍隊を、その子供や親族も含めて、残らず殺害し、根絶やしにすること」という極めて巧妙な内容の許可を引き出し、それに基づいてモルデカイが恐怖政治を行ったから、可能になったのであった。

 この「王の命令とその法令」が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は狂喜し、楽しみ、祝宴を張って、祝日(プリマ祭)とした。この国の民で、ユダヤ人でもないのに自分はユダヤ人だと宣言する者が大勢現れた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである。

 このユダヤ人による非ユダヤ人(ペルシャ人)の大虐殺は、後に彼等がフランス革命と称して行ったフランス人大虐殺、ロシア革命と称して歴史に残したロシア人大虐殺と全く同じである。

 アハシュエロス王から、敵対勢力を打倒する許しを得たユダヤ人は、大虐殺を終えた日に宴を催し、この故事を祝う日を「一年中で最も幸せな日」として、ユダヤ人の最重要な祭日「プルム祭」となっている。

 プリマ祭は,宰相ハマンがユダヤ人を攻撃するに当たっては、クジ、つまりプルを投げたので、勝利を得たユダヤ人は非ユダヤ人に対する勝利を祝うため、プリム即ちクジの日という名前を付けたのであった。エステル記最後の節は、幸せいっぱいのユダヤ共同体の様子をあらわしている。

 ペルシャ人(非ユダヤ人)の大虐殺がペルシャ帝国全土で行われ、生来の指導者たちが枯渇して、ペルシャは国家として極度に弱体化したために、帝国はその後すぐにアレキサンダー大王の攻撃を受け、あっけなく征服されてしまったのである。

 因みに、アハシュエロス(王)はヘブライ語であって、古代ギリシャ語は「クセルクセス」である。歴史はユダヤ人が書き残すものであることが、ここにも現れている。ヘブライ語以外の名称は歴史に残さないのである。彼等は緻密に丹念に言葉を選んで歴史を書いている。

 現在の中華人民共和国もこれを真似てか、過去の中国の歴史を書く時に、昔の王朝の「漢」「唐」「明」などは「中国・漢」「中国・唐」「中国・明」としている。先の「支那事変」は「日中戦争」、国の名前も「中華人民共和国」を「中国」と書き、言わせる。その当時は中華人民共和国など存在しないにも拘わらずである。

 ある右系の著名な学者さんは、「日中戦争」ではありませんよ、「支那事変」ですよといわれて、逆上し、「支那事変」なんていうと「害あって益無し」と言っている。北京が泣いて喜ぶ発言である。日本人の、しかも右系の学者がこれほどまで、頭が洗脳されているのが現実である。

 ユダヤ人について都合の悪いことを書いたり言ったりすると、直ぐに「反ユダヤ主義者」とレッテル貼りされるのと同じである。ユダヤ人の重要な祭日である「プリマ祭」をネット検索すれば、彼等の行ったペルシャ人大虐殺の史実など全く出てこない。逆に宰相ハマンを悪く書いている。

 これも、ある右系の活動家であるが、日本が先の大戦で蒙った大戦後の歴史を語ると、「いつまでも昔のことを言ってても仕方ない、今からどうするかである」と言って拍手喝采を浴びている。彼は、今からどうするかを考えるに当たっては、歴史を勉強しなければ分からないと言うことを、理解してないのである。もしこれを理解してこう言っているとしたら、彼は「隠れ右」で実際は「反日活動家」なのである。
 「愚者は経験に学ぶ,賢者は歴史に学ぶ」とビスマルクは言っている。至言である。


 

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