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ファシスト・ファシズム

 古代ローマは国内にいるユダヤ人にも、ローマ国民と同じように、ローマの法律を適用しようとした。ユダヤ人は非ユダヤ人の作った法律は守らない。そこでローマは彼らに、一般のローマ人と同じように守らせるには、武力(警察力)を持って守らせざるを得なかった。武力なしの法律は空疎な証文に過ぎないからである。
 
 そこでユダヤ人は、異常なまでにローマ人を憎んだ。カシュタインは『ユダヤ人の歴史』の中で、「ユダヤ人にとって、ローマは憎むべき一切の事柄の精髄をなしており、それ故、ローマは地上から一掃されるべきものと考えた。ユダヤ人は、ローマとその発明品である武力(警察力)と法律を、人間にはあるまじき憎悪をもって憎んだ。」と書いている。
 
 そこで、彼らは「ファシスト」「ファシズム」という言葉を造った。「ファシスト」とは何を意味するのかについては、何の説明もしない。
 それは、ローマの法官が犯罪者に刑を執行するのに用いた束桿(ファスケスfasces)、即ち、束ね合わされた棒という意味に由来する。日本の警察官が携帯している警棒に相当するものである。それは単に法律による統治にすぎなかった。つまり、残忍なユダヤ人のモーゼの律法と対立する、非ユダヤ人の法的秩序を意味するものに過ぎなかった。
 ところが、今日、この単純かつ正確なファシズムの定義を全くしない。ユダヤ人の教授たちは、学生に「ファシストという獣!」は、人間の中で最も恐ろしく邪悪なものであると教えるが、決してその先の説明はしない。
 
 ローマの没落に際して、ユダヤが果たした役割を指摘する歴史家は殆どいない。そして、ユダヤ人がローマ帝国で獲得した権力について、何らかでも示唆を与える歴史家は更に少ないという。先の大戦では日本もドイツと同じように、「ファシズム」「ファシスト」というレッテルを貼られた。そこには何も意味はなく、ただ「悪魔」といった雰囲気を醸し出しているに過ぎない。ユダヤ人にとって気にくわない法律が適用されたことに対する、腹いせ程度のことに過ぎなかったのである。しかし、彼らがこの言葉を吐くときの口汚さは聴くに堪えない。
 
 勿論、その根底には、ユダヤ人は非ユダヤ人の作った法律は「守る必要はない」「守ってはいけない」という、信じられないことであるが、ここには、彼らのこの意識が作用している。人間でもないゴイム(獣)が、人間様であるように、偉そうに法律なんか作って、人間様・ユダヤ人にこれを守らせようとするなんてとんでもない、という意識が根底にある。ユダヤ人はその内部の法律では、非ユダヤ人の作った法律は守ってはいけないのである。「モーゼの律法」以外のものに従ってはいけないのである。そして、「モーゼの律法に従う」と誓った者だけがユダヤ人なのである。ユダヤ人の定義は決して生物学的な民族ではない、「モーゼの律法だけに従う」と誓ったものは、非ユダヤ人でもユダヤ人と扱われるのである。その代わり、それを破った者に対する制裁は厳しいものがある。それは「やくざ」や「マフィア」の社会と同じである。
 
 人間社会には「郷に入れば郷に従え」という社会の掟のようなものがあり、他の社会に入っていった人間は、それによって調和を保ち、平和を維持してきた。勿論、そこでは「郷に入る」ことに強制をともなう事もある。ところがユダヤ人は「郷に入って郷に従わない」「郷に入っても郷に従ってはいけない」ので、彼らはどこに行っても嫌われる。当然のことである。
 ところが、彼らは自分たちに原因があるとは決して考えず、「迫害」を受けたという。「迫害」を受けたと、歴史にも書く。何故「迫害」を受けたかと云う原因には触れない。これを書いた歴史は一切ない。従って、非ユダヤ人はすっかり騙されて、「ユダヤ人はかわいそうな民族」という。事実は、ユダヤ人こそが、人類を苦しめてきたのである。今もこれは変わらない、益々エスカレートしている。

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