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トマーシュ・マサリク

 1899年、アグネス・フルザという非ユダヤ人(チェコ人)の子供の遺体が、ボヘミア(現在のチェコの中西部)で発見された。マサリクはこの時はまだ49歳の一介の弁護士に過ぎなかった。
 犯人捜査の最中に、ヒルスナーというユダヤ人が、殺人を行ったと白状し、他の二人のユダヤ人を共犯者として挙げた。ここで審理は終わったはずであるにも拘わらず、新たな審理が命ぜられた。

 一方、殺害された少女の母親の弁護人であるバハ博士は、この事件での正義を求めて、この年12月、ボヘミア下院議会で「公正な裁判をすべき」と演説し、この事件における政府のユダヤ人に対する極端な不公平を告発した。

 そうこうしてるうちに、更にマリア・クリマという子供の遺体が発見された。マリア・クリマというこの子供もまた、儀式用のナイフで殺害されており、発見されたナイフは、ヒルスナー所有のものと証明された。

 この裁判での被告ヒルスナーの弁護人を務めたのが、トマーシュ・マサリク弁護士であった。このヒルスナー被告は、よほどユダヤ社会での重要な人物であったのか、彼を助けたマサリクには、後にとんでもないご褒美が、与えられることになった。

 この事件から20年の時が経ち、第一次世界大戦が終わった1918年10月、紆余曲折の末、マサリクはワシントンDCのアメリカ議会でチェコスロバキアの独立を宣言した。ユダヤは彼を支持した。
 そして、ここにオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊し、連合国(奥の院・ユダヤ)はマサリクを新しく出来たチェコスロバキアの代表者と認めた。1920年、彼はチェコスロバキアの初代大統領に選ばれ、その後二度の再選を果たした。

 ベルサイユ講和会議においても、ユダヤはトマーシュ・マサリクに感謝の気持ちを示すために、彼を支持した。ベルサイユ講和会議で新しくチェコスロバキアという国家を承認し、マサリクを大統領に指名した。そして、彼に「チェコスロバキア建国の父」なる称号をも与えたのである。
 勿論、マサリクは、そのあと生涯を通じて、ユダヤ人指導者たちの熱烈な支持を受けるが、所詮、かれらの傀儡にすぎなかった。また彼の方も、嬉々としてその傀儡に甘んじた。

 アメリカでも、多くの非ユダヤ人たちが、先のマサリクと同様に、ユダヤ儀式殺人の新たなスキャンダルを揉み消す手伝いをすると、そのあと、選挙運動用に使える大金を目の前にドンと積まれるのである。勿論、これを一旦受け取ると、彼らの罠からは金輪際、抜け出ることはできない。抜け出して正義を貫こうとしたために、見せしめ的方法で殺害された要人の例は多々ある。

 候補者は、こうしてユダヤ儀式殺人の隠蔽工作を自発的に行うことを証明すれば、知事公邸(地方長官)や上院・下院(議会)、ホワイトハウス(閣僚)などへ至る、権力への道が「開けゴマ」と、突然開かれる。魔術のように楽々とこうした地位に昇っていけるのである。

 それほどに、ユダヤ儀式殺人の隠蔽工作というものは、ユダヤ社会にとっては、極めて重要なことなのである。忌まわしい、宜しくないことと、彼ら自身が自覚しているにも拘わらず、彼らは数千年にわたってこの悪習を続けてきている。
 勿論、現在も続けられているが、メディアを使っての隠蔽工作の手法が発達し、その上に、有無を言わせないだけの権力を、彼らが持つに至っているので、世の中からは完全に隠蔽されている。
 

 
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