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ヨーロッパにおけるユダヤ人追放の歴史

 ユダヤ人の言う迫害の歴史は例えば以下の通りである。
 
 1066年、ユダヤ人は少年を殺してその血を飲み、心臓を食べたという嫌疑がかけられて、大騒動になり、その結果、スペインのグラナダを追われた。
 1254年、フランス国民はユダヤ人を追放した。
 1290年には、ユダヤ人はイギリス人から追放された。しかし、300年後の1600年に彼らは戻ってきた。そして、貴族のクロムウェルを買収して支配権を取り、イギリス人大虐殺をして、イギリスを国ごと乗っ取った。
 1283年と1296年の2度、ドイツ国民は、ユダヤ人を追放した。
 1306年、フィリップ4世(カペー朝)はフランスからユダヤ人を追放した。そして1394年、シャルル6世(ヴァロア朝)は、再び「すべてのユダヤ人を永久にフランスから追放する」という命令を出した。しかし、400年後のルイ16世の時には、ユダヤ人は復讐の意味も込めて、フランス人大虐殺を敢行して、完全にフランスの支配権を手に入れた。
 1492年、スペイン人がユダヤ人を追放した。
 1496年、ポルトガルがユダヤ人を追放した。

 歴史の記録の中で、このユダヤ人追放の連続発生に匹敵する事柄は他にない。他のどの民族、政治集団もここまでの憎しみを惹起することはなかった。
 にもかかわらず、ユダヤ人が生き残ったのは、生き残ることがユダヤ人の仕事であり、それが彼らの宗教でもあったからである。それは現在も変わっていない。

 ユダヤ人は、遅かれ早かれ自分たちは追放されるということを知っているので、ある国に入り込むに当たって最初にすることは、その国の役人や有力者に、贈り物や賄賂を与えて買収し、非ユダヤ人のあいだに味方を作ることである。後になると更に脅迫によって味方づくりをする。
 そのために、ユダヤ人はどこにいても常に、迫害と称する期間中から、彼らを匿ってくれる非ユダヤ人の支持者を作っているのである。

 何故追い出されるのかを彼らは語らない。子供を誘拐して殺す儀式殺人を含め、あらゆる不法を働き、遂には追い出されるのであるが、このことについては一切語らないし、歴史に書かない。
 逆に、迫害を受けたと言い、歴史にこう書く。問題はいくら追い払われても、自分たちのする不法を決して止めないと言うことなのである。
 どこに行っても、何時の時代も追い払われると言うことは、彼らの方に原因があるとは思わない、思わせない。ここに彼らの民族としての特徴がある。

 ユダヤ人は一つの国を追い出されると、他の国のユダヤ居住区に合流する。さもなければ、ユダヤの破壊的な習性をまだ知らない国へと侵入する。中世のアムステルダムは、他国から逃げてきたユダヤ人のために常に変わらぬ「天国」となった。そしてまたアムステルダムはユダヤ人の富を蓄える銀行となった。

 イギリスのクロムウェルの軍隊が、武器を調えるために必要とした金の大半は、アムステルダムから来た。その軍資金は、アムステルダムのユダヤ人によって提供されたものだったのである。
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