Entries

オレンジ公ウィリアム

 1677年11月、メアリー2世が代々オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の総督を世襲するオラニエ=ナッサウ家のオラニエ公ウィレム3世(後のイギリスの王ウィリアム3世)と結婚した。15歳であった。政略結婚である。父は1649年に公開処刑(清教徒革命)されたチャールズ1世の次男のジェームズ2世である。したがって、メアリー2世は処刑されたチャールズ1世の孫娘に当たる。
 
 1685年2月、叔父のチャールズ2世が死去し、父のジェームズ2世が即位した。しかし、奥の院は宗教問題を理由にして彼を追放し、メアリー2世夫妻をオランダから連れてきて王にした(名誉革命)。
 
 こうした経緯があったので、当然のことながら、ウィリアム3世は妻メアリー2世の実家に当たる、スチュアート家による王位回復の企てを恐れていた。そのためには大規模な常備軍を創設し、これを維持しなければならなかった。当然、莫大な資金を必要とした。
 そこで、奥の院はそのための資金を提供するに当たって、1つだけ条件をつけた。それは、その債務相当分の「銀行券」の発行を許可せよというものだった。ウィリアム3世は、この要望(条件)の意味をほとんど理解できぬままでこれに同意した。
 
 こうして世界初の中央銀行、イングランド銀行が誕生したのであった。奥の院(ユダヤ人金貸し)がイングランド王(国)に金を貸して、利子を取る仕組みが出来上がったのである。奥の院は王(イギリス政府)に資金を貸して利子を取りながら、貸した資金分の紙幣を発行することによって、直ちに返済を受けているのである。直接王からの返済を受けるのではなく、銀行券を発行することで実質的には返済を受けておりながら、しかも王(国)に対する貸し金は残る仕組みである。
 
 貸した資金は直ちに回収し、それに対する利子は永久に取り立てる仕組みがここで生まれた。しかも、このイングランド銀行は奥の院の私物であり、イギリス政府とは何の関係もない。
うまくいったので、その後、この仕組みがアメリカでも作られた。これが1913年にできたFRBである。今度は、この仕組みがばれないように、銀行という用語を巧妙に避けて、連邦準備制度という訳の分からない名称にしている。そして、利息の支払いを確実にするために、彼らはFRB設立と同時に、連邦所得税法を作って、アメリカ国民から利子を受け取るような仕組みを作り上げた。
 
 そしていまや、ユダヤ人はユダヤ人の発行する利子付銀行券によって、世界を支配するようになった。世界中で使用される基軸通貨の発行を、独占するようになったのである。花咲か爺さんのように、打ち出の小槌を手にしたのであった。奥の院はこうして国にコストなしで金を貸すことによって、貸し金という国に対する債権を取得し、これに対する利子を取って、これを実物資産に変えることで、今では世界の富の半分以上を所有している。
 
 こうして奥の院の世界支配は、1694年にイングランド銀行が設立されたときに始まった。しかし、この段階ではまだ彼らの支配はヨーロッパとその植民地に限られていたが、その後1913年にFRBが設立されてからは、彼らの支配は全世界に及んでいる。
 そして、1971年のニクソンショック以来、全くコストをかけずに、糸の切れた凧のように、無限に基軸通貨ドルを発行できるようになった。だから、ドルが紙切れ通貨と言われるゆえんである。

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する