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冷酷さと残忍さ

 1789年7月14日、暴徒がパリのバスティーユ監獄を破壊し、凶悪犯罪の囚人も含め、全て世に出した。ユダヤ銀行家たちは監獄から出てきた連中に金を払い暴れさせる。

 群衆を煽動し、非ユダヤ人指導者をギロチンで次々に虐殺していく。それから何千人という尼僧と司祭やその家族を、教会から引きずり出し、斧と鉈で滅多切りにし撲殺した。キリストの祭壇の前で、彼らを虐殺した。聖堂は、滅多切りにされた非ユダヤ人聖職者の血で悪臭を放ち、死に行く女性や子供の悲鳴が響き渡った。聖堂はユダヤの会堂の地獄と化した。

 また、何百人ものキリスト教徒の男女が丸裸にされ、カップルにして縛られ、河の激流に投げ込まれた。その間、ユダヤ人たちは川岸で見物し、この犠牲者たちを嘲笑っていた。そして、「ユダヤ共産主義の偉大な勝利」と叫んで狂喜したのであった。

 後にスタントン・コブレンツという著名なジャーナリストが、著書「文明の10の危機」で「この破壊と虐殺の裏では秘密の指導勢力が活動していたように思われる」と述べている。他の多くの学者は、「この革命の背後にいた秘密勢力はユダヤである」と指摘しているが、コブレンツはそこまでは書いていない。コブレンツが、そこまで書くのを躊躇ったか、編集者が原稿からその記述を削除したかであろう。

 一方、国王は、何が起こりつつあるのかが全く理解できず、ただ仰天して事態を見ているしかなかったのである。暫くして、彼もギロチンの露と消えていくことになる。
 彼らは国王以下役人や軍人をギロチンで虐殺し、教会の聖職者たちは教会の聖堂で斧と鉈で撲殺し、国王を頂点とする役人の持っている権力と、教会の持っている権威とを潰したのであった。

 この惨劇を「革命」と称して遂行していった勢力は勿論奥の院であるが、ユダヤ人である。ユダヤ人は非ユダヤ人を、ゴイムであって人間とは認めてない。従って、彼らは限りなく残忍になれるのである。 

 これが、今では世界中で賞賛されているフランス革命と称するものの実際である。ユダヤによるフランス人大虐殺である。「自由・平等・博愛」と洗脳されたフランス革命の実態である。
 しかも、この惨劇の発端となったバスティーユ監獄破壊の日を、フランス国民の記念すべき、歓びの日「キャトール・ジュイエ」(パリ祭)としている。フランス国民の祭日「パリ祭」である。
 日本で、8月6日と9日を、広島祭と長崎祭として、日本国民がこぞって祝っているようなものである。他所の国のこととは言え、なんだか悲しくなる。

 もっとも、我が日本国も、国体を破壊する日本国憲法制定の日を「憲法記念日」として国民の祭日にし、祝っている。しかし、パリ祭のように国民がこぞって熱狂して祝っているというほどではない。憲法記念日だけは国旗を掲揚しないという人もいる。




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