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FRS設立後

 ウッドロー・ウィルソンは1911年から1921年まで、8年間アメリカ大統領を務めた。この間、彼は1913年に成立した連邦準備制度法に大統領の署名をした。

 翌1914年1月、この連邦準備制度法のもとで、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、クリーブランド、リッチモンド、アトランタ、シカゴ、セントルイス、ミネアポリス、カンザスシティー、ダラス、サンフランシスコの12の都市に、連邦準備銀行(私有銀行)が設立され、連邦準備券(ドル紙幣)を発行し、市中銀行の監督と規制をできるようになった。

 これら12の連邦準備銀行は全て私有銀行である。しかも、私有銀行でありながら、あらゆる市中銀行を規制、監督するのであるから、絶大なる権限を持った。しかも、これら連邦準備銀行は、アメリカ議会やその他の政府機関のどこからも独立した私有銀行である。どこの政府機関の監督も受けず、それでいてドル通貨を自由に発行できる存在となった。

 この制度では、連邦準備銀行がアメリカ政府に資金を貸し付けて、同額の連邦準備券(ドル紙幣)を発行するのである。アメリカ政府が発行するのではなく、一旦、連邦準備銀行がアメリカ政府に貸付をして、それと同額の連邦準備券を発行するのである。
 そして、連邦準備銀行は貸し付け先のアメリカ政府から、その貸し金に対する金利を受け取る。つまり、連邦準備銀行がアメリカ政府の必要とする資金を貸し付けて、その分のドル紙幣を発行し、それに対する金利を銀行は受け取ることになる。 

 したがって、連邦準備制度法が成立すると同時に、議会はアメリカ政府が連邦準備銀行に支払う金利の財源確保のために、アメリカ連邦税法を成立させている。
 あとは、銀行は出来るだけ多額の金利を受け取るべく、政府に対する貸付額(ドル紙幣発行額)を増やそうとし、政府の資金需要を発生させようとする。そのために、アメリカに戦争をさせ、政府の資金需要を作る。

 実際に、1913年連邦準備制度法が制定された翌年1914年に連邦準備銀行は営業を開始したが、その1914年にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発し(勃発させ)、それにアメリカを参戦させるべく、兵器生産をフル操業させ、生産された兵器をアメリカ政府に買わせて、1917年にはこの戦争に対する参戦にこぎ着けた。しかも、彼らはその戦争を出来るだけ長引かせるようにした。

 奇妙な制度である。政府は必要とする資金を連邦準備銀行から借り入れ、その分の紙幣を連邦準備銀行が発行し、政府は金利を支払う。その支払いは連邦税で賄う、つまり金利は国民が負担するという制度である。
 こんな迂遠な方法で通貨を発行するくらいなら、政府が直接通貨を発行すれば良いのである。実際、リンカーン大統領はこれを実行した。彼はアメリカ政府紙幣(グリーバック)を発行したのである。奥の院としてはこれは困るというので彼を暗殺した。同じくアンドリュー・ジャクソン大統領も暗殺されたが、幸いにもこれは未遂に終わった。

 現在では、連邦準備銀行が発行する通貨ドルは世界の基軸通貨となり、あらゆる国の外貨準備金ともなっているので、その発行額は巨大となり、それは即ちアメリカ政府の連邦準備銀行からの借入金となっている。それに対する金利はアメリカ政府が支払うので、その額は天文学的な額になり、連邦準備銀行の受け取る金利もまた天文学的額となる。

 しかも、1971年のニクソン・ショック以来、このドル紙幣は金(ゴールド)の裏付けは全くなくなっているので、発行額に対する限度もなくなっている。こんなことは何時までも続けられるものではない、どこかで破綻し、その時は超ハイパーインフレか第3次世界大戦である。ただ、これがいつかは誰にも分からない。知っているのは奥の院だけである。彼らがしていることであるから、彼らの意向次第ということになる。
 

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