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ペリー来航

 1853年6月3日、フィルモア米大統領の国書を携えてやって来た。幕府はとりあえずお引き取り願ったが、翌1854年1月16日に再度やって来た。

  彼は航海日誌に「日本国内の法律や規則について信頼できる充分な資料を集めるためには、領事代理、商人、あるいは宣教師という形で、この国に諜報員を駐在させ、駐在員には日本語を学ばせなければならない」と書いている。

  1859年ケズウィックがジャーディン・マセソン商会横浜支店を開設した。ペリーがやって来て5年後のことであった。そしてこの年8月にトーマス・グラバーがジャーディン・マセソン商会横浜支店長崎代理店を開設し、坂本龍馬らを使って、南北戦争で余った武器を日本の各藩に売り歩かせた。
 日本に内戦を起こさせて、巨大な利益を期待したのであろう。しかし、結果は幕府が大政奉還し、彼らがもくろんだほどには利益にならなかったようである。それでも戊辰戦争である程度は彼らの目論見は達成された。奥の院の商売である。
  この奥の院の商売は今も続いている。日本の開国以後、綿花、産業機械、軍艦、大砲など結構彼らから購入している。しかし、日本はその後軍艦、戦闘機などあらゆる物をは自前で作り始める。
  しかし先の大戦以後は、軍艦や戦闘機は作らせないようにし、彼らから購入を余儀なくさせている。半島の南北、支那大陸の軍事力を増強させて、日本にとっての脅威を造り出し、脅して高額の武器を買わせることに成功している。
  それだけではない。お互いに憎しみの感情を育て、当に一触即発の状況を狙っている。半島・大陸の人民には反日思想を生まれた時から叩き込み、日本国民に反韓、反中共感情を育て、右系の国民がそれを手伝っているという結果が生まれつつある。気が付かないうちに、この奥の院の策略に引っかかって、とんでもない処へ連れて行かれる恐れがあることを危惧する。
  左系の人たちには「戦争反対」、「憲法改正」など叫ばせて、日常は「モリカケ」や「花見」のことなど、どうでもいいことをわざと大騒ぎさせ、大事な政治課題を議論する時間を作らせないようにしている。
 奥の院は右も左も使うのである。左の連中は確信犯であるが、右系は知らず知らずのうちに国のためを思い、結果は彼らの罠にはまっていく可能性がある。
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