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ペリーが日本にやって来た4年前の

1849年、ペリーの娘キャロラインがオーガスト・ベルモントと結婚した。

 彼はローマのカール・ロスチャイルドの庶子で、奥の院からアメリカに派遣されてきた。カール・ロスチャイルドは大王様の祖マイアーの五男で、大王様の孫である。ここでアメリカのペリー財閥と奥の院が結びついた。つまりペリーを日本に派遣したのは奥の院であった。先のペリーの航海日誌は奥の院への報告書も兼ねていた。

 1849年と言えば、前年ヨーロッパで革命が吹き荒れた1848年の翌年であり、マルクスが共産党宣言を発表した年でもある。革命は奥の院が起こす。
 カウフマンが「ユダヤ民族の偉大な時代と思想」の中で、
 「ユダヤ人の解放がこの1世紀にわたって実行されてきたフランスでも、新内閣に2人の高名なユダヤ人が含まれていたのは驚くに値しない。一人はミシェル・ゴショリー蔵相、もう一人はユダヤの権利を強硬に主張する筋金入りの闘志アドルフ・クレミュー法相である」と。

 フランスの大蔵大臣と法務大臣のポストをユダヤ人が握ったと言うことは別に驚くに値しないとカウフマンは書いているのである。つまり、ユダヤ人大王様はフランス革命を起こしてルイ王朝を滅ぼし、その後出てきた愛国者ナポレオンを潰して、フランスを乗っ取ったと言うことを宣言している。

 アドルフ・クレミューはシオニスト世界権力運動のイスラエル世界同盟会長でもあった。「解放がこの1世紀にわたって実行されてきた」とは、フランス革命中にユダヤ人が非ユダヤ人指導者たちを大量虐殺したと自白しているのである。フランス革命という素晴らしい名前をつけているが、実体はユダヤ人によるフランスの非ユダヤ人大虐殺であった。フランスという国は今では完全にユダヤ人の国である。
 だからこそ、先の選挙でも、若いユダヤ人でロスチャイルド銀行の役員をしていたマクロンが、いきなり出てきて当選したのである。そして凄惨なテロ事件が頻発している。それだけ反発も根強いと言える。

 ちなみに、クリントン政権で国防長官を勤めたウィリアム・ペリーは、江戸末期に奥の院の使いとしてやって来たペリー提督の末裔で、ペリー提督はペリー国防長官の五世代前の伯父である。このペリー国防長官も、現在また奥の院のもとで働いているのである。
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