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1694年

 イングランド銀行が設立される。

 軍事費を調達する目的で、スコットランド人のウィリアム・パターソンと財務府長官のチャールズ・モンタギューが創設した。イングランド王国政府の銀行として、この年7月27日にウィリアム三世・メアリー二世の勅令により認可された。
 ウィリアム三世・メアリー二世はオランダから連れてこられ、イングランド王位に付いた(1688年のクーデター・名誉革命)。そのお礼の意味でイングランド銀行を勅令で認可したのである。オレンジ公ウイリアム王としてはスチュアート家の王位回復の企てを怖れていたこともある。

 イングランド銀行設立の認可を受けた金貸したち(ユダヤ人)は、政府に貸した金額分の銀行券発行(通貨発行)を許可される。無から富を創造する仕組みが国王の勅令で出来上がった。こうしてイングランド銀行設立許可を受けると、彼らが政府に戦費として貸し付けていた金の返済を確保したわけである。

 翌1695年10月、ジョン・ロックが銀貨の改鋳について建議し、そのロック案が閣議決定されて、12月17日に法案となる。そして翌年1696年1月に法案は成立した。

 イングランド銀行創設は人類史上の一大事であった。民間人(ユダヤ人金貸したち)が政府に金を貸して、その金額分の通貨発行が認められるという仕組みがこの時に出来上がった。政府に金を貸した瞬間、通貨を発行できるので、貸金がその瞬間返済される仕組みである。貸すと同時に返済を受け、利息は永久に受け取れると言う仕組みである。
 この仕組みは、現在世界の基軸通貨を発行しているFRBも同じである。

 その上、1696年イングランド銀行設立と同時に、イギリス議会が介入し、「正貨(金)による支払いの停止」を認める法律を制定した。これで取り付け騒ぎになることがなくなった。銀行券と金を兌換するという約束は無事反故にできた。

 翌1697年、イェヘズケル・カウフマンが『ユダヤ民族の偉大な時代と思想』に書いている。
「1697年には、早くもロンドン証券取引所は世界第一の証券取引所となるはずだ。124の会員席の内12席を永久にユダヤ人のために確保できた」と。この時ユダヤ人はイギリス全体で2~3千人しかいなかった。
 こうして、一握りのユダヤ人金貸したちがイングランド銀行を乗っ取って、世界支配に乗り出すのである。大王様の祖・マイアーはこれから半世紀後に誕生し、その3男のネイサンがロンドンに派遣され、彼がイギリスでこのイングランド銀行を支配するようになる。

 イングランド銀行設立後
 1694年から1698年にかけての5年間で英国の負債は125万ポンドから1600万ポンドに、1698年から1815年(ナポレオンを潰した年)までの間に8億8500万ポンドにまで膨れ上がった。そして1945年(第2次世界大戦終結時)にはこれが225億3500万ポンド、年間の金融経費(イギリス政府が奥の院に支払う金利)は4億5000万ポンドである。
 戦争をあちこちで引き起こし、政府に戦費を貸付、お金を使わせて、政府の負債を膨らませていく。そうして受け取る利息も膨らませる。これが奥の院の商売というものである。
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