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1625年3月27日チャールズ一世即位。

 チャールズ1世が25歳でイングランド国王に即位する。イギリスでは1290年にユダヤ人を国外に追放していたが、およそ300年経った1600年にまた彼らは徐々にイギリスに戻って来た。

 即位して3年後、1628年3月、イングランド議会から出された「権利の請願」を受諾した。そしてこの年8月、国王側近のバッキンガム公が暗殺され、この時からチャールズ1世の側近に現実的政治家がいなくなった。

 翌1629年、チャールズ1世は国王大権を楯に、チャールズ一世は国王大権を盾に「権利の請願」を事実上廃止し、抗議する議会を解散した。以後1640年まで議会は開かれず、チャールズ親政を行う。バッキンガム公亡き後で、チャールズ1世にとっては四面楚歌の状況が続き、オランダに根拠をもつユダヤ金融屋が「絶対王政」と宣伝し、反王党派を育てていく。
 翌1630年、大陸のマサチューセッツにイギリス人が大量に移住し、ボストンの街を建設している。

 チャールズ1世が議会を停止している間の1636年1月、オリバー・クロムウェルの従兄のハムデンがチャールズ1世による船舶税の支払いを拒絶する。一つの叛乱である。
 翌1637年オランダではチューリップ・バブルが起きている。ユダヤ金融屋が起こしたバブル崩壊である。バブルを興し、その上でこれを潰して巨利を得たのである。この手法は現在も彼らが行っている。

 1640年4月、スコットランドで反乱が起き、その鎮圧に必要な戦費を調達するため、11年ぶりに議会が招集された。当然のことながら、議会はチャールズ1世糺弾の場となり、3週間でまた議会の解散となった(短期議会)。
 こうしてユダヤ人金貸しが牛耳っている議会が、国王チャールズ1世を追い込んでいくのである。清教徒革命(チャールズ1世公開処刑)の前夜の始まりである。



 

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