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トルデシリャス条約

 1494年6月、スペインとポルトガルの間で締結された条約である。西アフリカのセネガル沖の子午線に沿って、そこから東半分をポルトガル領、西半分をスペイン領とするという条約である。つまり、大西洋の真ん中の子午線を境に地球を2分割し、そこから東はポルトガルが、西はスペインが植民地とした。

 日本は後土御門天皇の御世で、将軍は足利義稙であり、都は焼け野が原で、天皇の即位礼も出来ない荒れ果てた、すさんだ時代であった。1467年に起きた応仁の乱が11年も続き、国が荒廃していた。トルデシリャス条約締結の2年前、1492年にコロンブス艦隊がカリブ海の島を発見したことが影響している。

 そしてこの条約を、この時のローマ教皇アレクサンドル6世が承認した。ローマ教皇のお墨付きをもらって、ポルトガルとスペインが地球を2分割して所有することとなったのである。
 こうして彼らは世界を植民地化していくのであるが、実際にやっているのはユダヤ人で、奥の院である。いつの時代も、世界をうろついて悪さをしては金儲けに奔走しているのはユダヤ人である。世界をうろつくのはお金がかかる。お金を持っている(出資者)のはユダヤ人だけであるから、この時代も金持ちユダヤ人(奥の院)の時代と言える。

 1497年にはポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を廻って、大西洋からインド洋に出て、翌1498年には印度のカルカッタに到着した。
 1520年、マゼランがマゼラン海峡を発見し、大西洋から太平洋に出た。それまではカリブ海やアメリカ大陸を印度と思っていた。

 東へ行ったポルトガルと西へ行ったスペインとが、日本でぶつかったので、日本には両者がやって来ている。

 西に向かったスペインは1533年にインカ帝国を潰し、大量の金を獲得した。そしてマゼラン海峡発見で、更に西へ進んでアジアにやって来て、フィリピン他を植民地とした。

 1543年には、ポルトガル人が日本の種子島にやって来て鉄砲を持ち込んだ。何しろ、鉄砲一丁を今の金額にして1億円で、2丁買ったという。
 ポルトガルはこれで大儲けできると喜んだところ、次に日本にやって来た時には既に日本は鉄砲を大量生産しており、全く買う必要がなかった。

 スペイン人のフランシスコ・ザビエルが、ポルトガル王ジョアン3世の依頼を受け、印度のゴアに派遣され、1549年に日本に来ている。

 こうして日本にはポルトガルとスペインの両者がやって来た。実際にやって来たのはユダヤ人かユダヤ人に雇われた人たちであった。
 当然この頃から日本は奥の院との接触が始まるのである。当初は彼らは宣教師としてやって来た。日本では荒れ果てた室町時代末期から戦国時代にかけての頃で、信長も秀吉も彼らの布教活動を認め、自由にさせた。

 ところが、後にキリシタン大名と称されることになる、有馬晴信、大友宗麟、高山右近といった戦国大名が、キリスト教徒への改宗を強要し、神社仏閣を焼き払い、子女を奴隷として外国に売り飛ばして火薬を買った。

 その後、これら外国勢の狙いが、日本を植民地化することにあるということを秀吉が見抜いた。その後の家康もこの点では同じであった。そしてバテレン追放になるのである。従って日本が奥の院の植民地にならなかったのは、秀吉と家康のお陰であるということを日本人は認識すべきであろう。

 現に日本以外のアジアの国々は全て奥の院の植民地になった。これをすべて解放し、独立させたのは、先の大戦・大東亜戦争を戦って、酷い目に遭った日本であることに誇りを持つ。
 アジアの国々は、隣の半島と大陸を除いてみな感謝している。酷い目に遭ったことに同情もしている。大陸も毛沢東ですら「皇軍のお陰」と感謝の意を表明していた。支那はアジアにではなく、欧米に味方して先の大戦を戦った。その意味ではアジアにとっては裏切り者である。彼らは奥の院側に付いて戦ったのである。

 秀吉という人物をあしざまに言っているのは、この恨みを持つ奥の院の洗脳である。歴史は彼らが書くのである。
 
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