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清教徒革命後

1649年1月30日、ユダヤ金融資本家がクロムウェルをうまく使って、チャールズ1世を公開処刑に持って行って、これを実行し、彼ら奥の院(ユダヤ金融資本家)が英国を支配する体制を整えた。

 そしてこの年5月、クロムウェルはイングランド共和国を樹立し、イングランド王国はイングランド共和国となった。「王を処刑し共和国を造れ」を実施し、王制を倒したのである(清教徒革命)。

 こうしてクロムウェルがイングランドで王国を潰してからおよそ250年後の1919年(大正8年)3月、奥の院はレーニンにロシア革命を起こさせて、ロシア帝国ロマノフ王朝を潰させた。その上で、レーニンに第三インターナショナル(世界共産主義連盟連盟)を設立させて、モスクワに本部を置いた。全てその資金は奥の院が出した。勿論その資金はロシア帝国を潰して、出した資金以上のものをロマノフ王朝から略奪し、大儲けをしたので、決して損はしてない。。むしろこれが奥の院の商売である。

 その3年後の1922年(大正11年年)、その第三インターナショナルの日本支部が出来た。日本共産党である。そしてモスクワの本部から日本支部に来た最初の指令が、「天皇を処刑して共和国を造れ」であった。当に、ここで250年前にクロムウェルがイングランドでしたことを、日本でさせようとしたのである。
 行っているのが同じ連中の奥の院であるから、時代を超え、ところも構わず、あらゆる君主国を潰すという政策は一貫したものであることがよく分かる。

 そして何と翌年1923年12月、実際に「虎ノ門事件」が起きた。3ヶ月前の9月1日に関東大震災が起きて、焼け野が原になっていた東京市(当時)の虎ノ門で、皇太子摂政宮・裕仁親王殿下(後の昭和天皇)を無政府主義者の難波大介が銃で狙撃した皇太子暗殺未遂事件である。
 幸いにして弾は逸れて、未遂に終わって事なきを得たが、モスクワ(奥の院)からの指令は確実に実行されたのである。難波大介の父の難波作之進は山口県選出の衆議院議員であった。 彼は直ちに議員を辞職した。勿論当然のことである。

 そして日本の王朝潰しはまだ続く。1975年(昭和50年年)7月17日、沖縄県糸満市で起きた「ひめゆりの塔事件」である。これは皇太子明仁親王殿下(現上皇陛下)と美智子妃殿下(現上皇后陛下)暗殺未遂事件である。当時の皇太子殿下ご夫妻が沖縄を訪問され、ひめゆりの塔の行かれた時に、過激派の連中が上から火炎瓶を投げ込んだのである。

 先の「虎ノ門事件」の時は、犯人の難波大介は不敬罪で死刑に処された。次のひめゆりの塔事件では、GHQの命令で不敬罪が廃止されていたので、2年程度の懲役で済まされた。そして犯人は出獄してのちは、地元の市会議員を勤めている。

 そして更に続く。悠仁親王殿下の交通事故と、先に起きた怪しげな刀事件である。メディアは請いに報道を避けている。当局にも素通りさせている。当局にも国民にも気付かせないように、問題を感じさせないようにさせている。大事件が起きないことを祈るしかない。

 奥の院の日本王朝潰しは続いているのである。「天皇・皇族と同じ空気を吸っているのが嫌だ」といっている政治家の彼女など、隙あらば大逆事件を起こすであろう。大逆罪、不敬罪がないので、起こすハードルは極めて低くなっている。

 奥の院の王朝潰し、国家潰しは太古の昔から、一貫して起こされているのである。歴史を彼らが書いているので、そこは分からないように、気付かれないようにしているに過ぎない。
 近代における奥の院の世界支配の原点は、1649年に彼らがクロムウェルを使って英国で起こした「清教徒革命」(ピューリタン革命)である。
 そして現在のその奥の院を仕切っている大王様の祖・マイアーは、これからおよそ100年後の1744年に誕生することになる。

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