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スチュアート朝の消滅

 1649年、奥の院ユダヤ金融資本家たちが、イギリスの貴族クロムウェルを使って(金で買収して)イギリス国王チャールズ一世を公開処刑し、スチュアート王朝を潰し、その後はクロムウェルが護国卿となって共和制国家とした(清教徒革命)。
 1658年、クロムウェルが死去した後は息子のリチャードが跡を継いだが、1年ほどで辞任した。

 1661年4月にチャールズ二世が即位して王制に戻った。

 1685年2月にチャールズ二世が死去し、弟のジェームズ二世が王位に就いたが、奥の院は1689年ジェームズ二世を追い出して、オランダからウィレム三世を連れてきて王位に就けた(名誉革命)。

 1702年3月、ウィレム三世が死去し、アンが女王に即位した。
 1707年5月1日、イングランド・スコットランドが合併し、両国議会は統一され、グレートブリテン王国が成立し、アン(夫はジョージ王配・ジョージ・オブ・デンマーク)が初代君主となる。

 1714年8月1日、アン女王が死去し、ステュアート朝はここで断絶する。イギリス、ハノーバー朝ルードヴィッヒをドイツから連れてきてジョージ一世(ハノーヴァー朝の開祖)として迎え、グレイトブリテン王に即位(~1727年6月)する。イギリスはハノーバー朝となった。

 この頃、ドイツのフランクフルトには415世帯のユダヤ人が住んでいた。その内の109世帯が金融業を営んでいたが、最も裕福だったのはシュパイヤー家、それからゴールドスミス家、ヴァイサーマー家、ハース家と続き、ロスチャイルド家は11番目であったが、100年後には1位で、欧州の支配者となった。近代奥の院の支配者、大王様がここに誕生するのである。近代奥の院の支配者、大王様の誕生となる。

1720年、オランダで南海泡沫事件が発生する。今で言うバブルの崩壊である。南海会社の株を暴騰させ、金融を引き締めて崩壊させたのである。金融をゆるゆるにして、その後引き締めることによって、株価を暴騰させ、その上で暴落させた。この手法を後に奥の院の大王様が使って、世界の富を奪っていくのである。

 1723年、ドイツから連れてこられた国王ジョージ一世が「ユダヤ人はイギリスの臣民である」と宣言する。ここで従来のイギリスは最早イギリスではなくなった。通貨発行権を独占する中央銀行であるイングランド銀行がユダヤ人のものであるから、最早イギリスはユダヤ人のものとなったのである。

 1746年4月のカロデンの戦いで、正統なスチュアート王朝に戻そうと活動していたジャコバイトが鎮圧され、イギリスは奥の院のものと確定した。そしてこれから奥の院はイギリスを拠点に欧州全土に戦争を引き起こさせる。欧州は戦争に続く戦争の時代を迎えることになる。戦争は奥の院を太らせる。戦争が彼らの商売だからである。

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