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大王さまの祖マイヤーの誕生

1746年4月のカロデンの戦いで、正統なスチュアート王朝に戻そうと活動していたジャコバイトが鎮圧され、イギリスは奥の院のものと確定した。

この2年前の1744年2月23日、ドイツで大王さまの祖・マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人)」の子として誕生した。ホフ・ユーデンは王侯貴族の財産を管理する。ロスチャイルド家はヘッセン侯国の宮廷御用商人として出発している。

1750年、マイヤーの父・アムシェル・モーゼズ・バウワーはフランクフルトに定住する。そして1755年10月にそこで没した。この時、息子のアムシェル・マイヤーは11歳であった。

この年、イングランド銀行がイギリスの長期国債の購入を独占する。そしてその国債を準備金としてポンドの通貨発行を独占した。つまりポンドの発行権を独占した。

カッツエンシュタインは『ユダヤの歴史』で「1750年にはアムステルダム及びロンドンの両証券取引所はユダヤ人が牛耳っていた」と書いている。

 

1753年、イギリスの王・ジョージ二世がユダヤ人はイギリス臣民であることを許すという「帰化法」を議会で通す。しかし、イギリスの労働者の猛烈な抗議が起きて、この「帰化法」を廃止せざるをえなくなった。

いつの時代もユダヤ人の要求を通すのは為政者の方で、反対するのは庶民である。ユダヤ人は王に金を渡してご機嫌を取り、庶民を搾取するからである。王はユダヤ人に徴税を任せ、徴税官となったユダヤ人は情け容赦なくこれを取り立てる。王はユダヤ人に徴税させると便利なのである。

 

1757年、マイアー・アムシェルが13歳でザームエル・オッペンハイマーの孫・ヤコブに弟子入りする。1763年まで6年間ここで修行している。

1760年10月25日、ジョージ三世(ジョージ二世の孫、ハノーバー家三代)が22歳でイギリス王に即位する(~1820年)。22歳で即位し、1820年死去するまでおよそ60年間王位にあった。

この間1804年、大王家の祖マイヤーの三男ネイサンがロンドンに移住してきてロンドン大王家を立てている。ロンドン・ロスチャイルドの初代である。

 

1773年、30歳になったマイヤー・ロスチャイルドは、裕福で強い影響力を持つ12人の富豪を招き会合を開いた。

弱冠30歳の彼は、「資金をプールすることに皆さんが同意すれば、世界革命運動を支援、指揮する権限が得られ、それを行動の手引きにすれば、全世界の富・天然資源・労働者に対する支配権が得られる」 「英のピューリタン革命はあまりに時間が掛かりすぎ、反動勢力(ジャコバイト)を穏当な方法で排除できなかったし、大衆の支配を素早く実現するための計画的恐怖支配が効果的に行われなかった」などと、ここで生じた失敗を指摘した上で、「しかし、結果としては所期の目的である革命(清教徒革命)は実現、1694年(イングランド銀行設立)以来、自ら誘発してきた戦争、革命のための戦費を貸し付けることで確実にイギリス国家の負債を増大させた」と言った。

 

ここでこれに賛同を得たマイヤーは、自らの革命計画を明かす。

「資産をまとめて巧みに利用すれば、大衆を失業させて飢餓寸前の状況に陥れる経済的悪状況を生じさせることが可能であり、巧みに練り上げたプロパガンダを利用すれば、その経済的悪状況を国王、その廷臣、貴族、教会、雇用者のせいにることも可能である。また宣伝者を雇って、浪費やら不道徳行為、不正、虐待、迫害の絡む事件に対し、あることないこと言いふらせば、支配階級に対する憎しみ、復讐心を煽ることができ、汚名を着せるための事件をデッチ上げれば、計画全体に干渉しかねない人々の評判を落とすこともできる」と。

 

以後、奥の院はこの計画を実行に移す。世界の歴史はこの計画通りになっていくことが分かるのである。

 
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