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1811年3月

米第一合衆国銀行が期限切れとなって消滅した。奥の院は何とか更新させようとしたが、議会は上院下院共にこれを拒否した。
 
翌年1812年6月、英米戦争(第二次米独立戦争)が勃発する。奥の院がが英、米双方の政府にお金を使わせるため、英政府を嗾けたのである。米政府の債務は3倍になった。時のジェームズ・マディソン大統領(第四代)は、戦争をきっかけに国を守るために強い中央政府の必要性を認識していた。つまり資金が必要だと認識していた。ところが大王さまネイサン・ロスチャイルドは「合衆国銀行の(銀行)特許状更新と引き換えでなければ如何なる経済援助も準備されえない」としっかり釘を刺すことを忘れない。
 戦争はどちらが勝ってもいいので、要は政府に金を使わせて、負債を増やせばいい。政府を借金漬けにして債権者として国を支配するのである。
 
この頃6月、欧州ではフランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトが64万の大軍を率いてロシアに攻め込んで、結果は惨敗して兵力の大部分を失った。そして3年後の1815年にはワーテルローの戦いで奥の院はナポレオンを潰して始末し、、フランスを完全に乗っ取った。
 
この年1812年9月に大王さまの祖マイヤーが死去する。大王家は2代目の時代となる。長男マイヤーはフランクフルトに残し、次男ソロモンはウィーンに、3男ネイサンはロンドンに、4男カールはナポリへ、5男ヤコブはパリへ派遣し、それぞれの地で金貸し業を営ませた。即ち、19世紀の前半は大王家2代目の世界となっいる。
 
1813年10月、米独立戦争のテムズ(オンタリオ州)の戦いで米軍が勝利をおさめた。この時オリバー・ハザード・ペリーが指揮するアメリカ海軍がエリー湖の湖上戦で決定的勝利を奪った。このオリバーが日本にやって来たペリーの兄である。
この頃欧州ではナポレオンがライプツィッヒの戦いで欧州連合軍に敗れ、翌1814年7月のフォンテンブロー条約でナポレオンはエルバ島(イタリア西海岸)に流された。
そしてこの年9月1日、戦後処理のためウィーン会議が開催されるが、いっこうに纏まらず、そうこうしてるうちにナポレオンがエルバ島を脱出して戻ってきた。奥の院は慌てて会議をまとめウィーン体制を作り上げ、各国に金を貸して再度欧州連合を結成させナポレオン潰しにかかった。そして翌1815年のワーテルローの戦いでナポレオンを潰して、今度は絶対に戻ってこれない大西洋の真ん中のセントヘレナ島に流し、そこで毒殺した。食事に少量のヒ素を混入させて年月かけて殺した。
 
奥の院は1790年からフランス革命と称してフランス人大虐殺を行い、そこで出てきた愛国者ナポレオンをここで抹殺し、フランスを完全に乗っ取ったのである。先の選挙でも、ロスチャイルド銀行役員の若いマクロン(40歳)が選挙間際にいきなり出て当選するような国になっている。完全に大王さまの支配する国となっているので、妙な大規模テロ事件も発生しする病んだ国である。
 
ちょうどこの頃1814年7月、アメリカ合衆国では独立戦争を戦うための戦費調達で戦争債券を発行したが、消化出来ず20%も値下がりした。奥の院が買わないからである。奥の院が2割引で購入しているのであり、ここでもちゃっかり奥の院は20%の利を得ている。
 
 12月24日、米英が米英戦争の停戦条約(ガン条約)を締結して戦争を終わらせた。大王さまが「起こした戦争をいつ終わらせるかも私が決める」と言っている。イギリスは終始優勢であったが、欧州でフランスと戦争をしており、停戦に応じたのである。一方、米政府の負債は3倍となり、激しいインフレが発生しした。
 
 1815年6月、奥の院はナポレオンを始末した上で、改めて欧州の支配者をウィーンに集め、ウィーン議定書が作成され、ウィーン体制が整った。
 ウィーン体制発足し、欧州全土でユダヤ人は「平等の権利」が保証された。ユダヤ人の勝利の祝典であった。ユダヤ人はゲットーから飛び出し、異常発生した蝗のように欧州を席巻し、各国政府の役職に就き、教育界に地位を得、銀行の役員になり、ユダヤ人が非ユダヤ人国家(欧州諸国)の抵抗しがたい支配者となった。
 ヨーロッパ文明の偉大な時代は、この時突如として終わりを告げた。もはやシェークスピアやベートーヴェン、ゲーテのような文化的巨人は、どこにも見当たらなくなった。
 
 ウィーン体制の中で、スイスの永世中立国化が承認され、スイスが奥の院が戦利品を安全に保管する場所となり、同時に世界革命を計画する基地となって、これから1848年の革命を始めとして、世界中で次々と革命を引き起こしていくのである。
 

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